プレスティッジ

 ブルーノートより遅れること10年、1949年にニューヨークで設立されたジャズ専門レーベル。第2次世界大戦が終結したあと米国では相次いで新興レーベルが誕生しましたが、プレスティッジもそのひとつ。創始者はボブ・ワインストックで、最初のレコードは1949年1月11日録音のレニー・トリスターノとリー・コニッツのクインテットによる有名な「サブコンシャス・リー」でした。

 ボブ・ワインストックは、10代半ばで熱烈なジャズ・レコードのコレクターとなり、熱が高じてメイル・オーダーでレコード売買を手がける一方、ニューヨークに「Jazz Record Comer」というレコード店を開きました。1948年には当時ブロードウェイのジャズのメッカだった「ロイヤル・ルースト」にフリー・パスで自由に出入りができるほどの顔だったといいます。「ロイヤル・ルースト」は、モダン・ジャズのメッカで、クラブはワインストックのレコード店とは目と鼻の先にありました。
当初、トラディショナル・ジャズの愛好家だったワインストックは、ロイヤル・ルーストに通ううちにモダン・ジャズの愛好家に転身し、プレスティッジを創設してからは1950年代のモダン・ジャズの最重要ミュージシャンのほとんどを手がけ、ジャズ史に燦然と輝く功績を残しました。
ワインストックは1958年には創作活動から引退、以後、エズモンド・エドワーズやドン・シュリッテン、ボブ・ポーターらが代わってプロデュースを手がけました。1971年5月28日にプレスティッジは大手のファンタジーに買収され、創始者のボブ・ワインストックの手から完全に離れました。レーベルは現在ファンタジーの手で継続されていますが、新作の発表は行なっていません。

 ブルーノートのアルフレッド・ライオンがレコード・プロデューサーとして完璧主義だったのに対して、プレスティッジのワインストックはより自由でルーズな感覚でレコーディングやレーベルの運営に臨んだといわれています。でもこのことがミュージシャンたちにアーティスティックな自由を与えたこともまた事実で、そんな環境からマイルス・デイビスの『ウォーキン』やソニー・ロリンズの『サキソフォン・コロッサス』のようなモダン・ジャズ史上不滅の名盤が数多く誕生しました。

 また、プレスティッジは「All Day Long」「All Night Long」「All morning Long」といったプレスティッジ専属のミュージシャンたちによるオールスターズ編成のアフターアワー的な雰囲気のくつろいだセッション(多くの場合1曲がLPの片面を占めた)、「テナー・マドネス」「アルト・マドネス」「Two Trumpets」「Three Trumpets」といったバトル物を得意としましたが、このあたりにもワインストックのジャズ観がよく現われています。こだわりのなさは、このレーベルのジャケット・デザイン面にも、また「New Jazz」「Swingville」「Moodsville」「Bluesvill」「Status」「Tru-Sound」といったさまざまなレーベルシリーズを傘下に置いたことなどにも端的に反映されています。

 プレスティッジの陰の功労者たちは数多くいます。なかでも1950年から55年にかけてプレスティッジでボブ・ワインストックの片腕として働いたアイラ・ギトラー(1928〜)の功績は大きいといわれます。ギトラーは今では米ジャズ評論界の大御所の一人ですが、当時はレコードの発送、プロモーションばかりでなく、プロデュース、ライナー・ノーツの執筆、時にはジャケットのデザインまで何でもこなしました。ギトラーのプレスティッジ時代のライナー・ノーツはおよそ200点に達し、なかでも『ソニー・ロリンズ Plus4』 でのテナー・サックス奏者のスタイル形式をグラフィックに表現した解説は画期的な傑作。

 このほか、1956年からギトラーに代わってプレスティッジに入ったエズモンド・エドワーズやドン・シュリッテンらもワインストックが制作面から手を引いた1958年以降から60年代を通じてプロデュースやアルバム・カバー用の写真撮影、デザインなどすべてを手がけました。この時期の経験を生かして、エズモンドは後にラムゼイ・ルイスのビッグ・ヒット『ジ・イン・クラウド』を放ち、シュリッテンは自己のレーベル「ザナドゥ」を興すことになります。