
インパルス
1960年にABCパラマウント傘下の別レーベルとしてニューヨークで創設されたジャズ・レーベル。初代プロデューサーはクリード・テイラーがつとめましたが、レーベルの発足1年後にテイラーが別会社(ヴァーヴ)に移籍したため、後任には経験豊富なベテラン、ボブ・シールが起用されました。制作は1960年10月から開始され、レーベル第1作にあたるJ.J.ジョンソンとカイ・ウインディングの『Swinging Together Again』を1961年にリリースして正式スタートを切りました。以来、インパルスはジョン・コルトレーンの活躍などで1960年代の最重要ジャズ・レーベルとして時代をリードし続けました。
初代プロデューサーのクリード・テイラー(1929〜)は1954年からベツレヘム・レーベルで働き、優れた手腕を発揮した名プロデューサーの一人。1956年にはABCパラマウントに入社し、ジャズ・アルバムの制作を担当した後、同社のジャズ専門レーベルとしてインパルスを発足させました(ヴァーヴに移籍したあと、クリードは1967年から1969年はA&Mで働き、1970年になって独立、CTIレーベルを興して成功を収めます)。
クリードは、インパルスのスタートに際して当時としては異色のパッケージ面でダブル・フォールドのアルバム・カバー(見開き形式)を採用して、デザイン面でも統一感を打ち出すなど、強烈なレーベル・イメージをアピールすることに成功しました。制作面でも、話題のアーティスト、ジョン・コルトレーンを専属に迎え、野心的なインパルス第1作『Africa Brass(アフリカ・ブラス)』(1961年5月録音)を制作したほかオリヴァー・ネルソンの最高傑作として名高い『Blues And The Abstract Truth(ブルースの真実)』(1961年2月録音)やJ&K、ギル・エヴァンス、クインシー・ジョーンズらの珠玉の名盤をプロデュースして、独創的なインパルス路線の確立に貢献しました。
クリード・テイラーの後任として1960年代を通じてインパルスで活躍したプロデューサーのボブ・シール(1922-1996)は、1939年に17歳で自己のSignatureレーベルを興して、コールマン・ホーキンスらスイング時代の名手を手がけたジャズ・レコード界の大ベテラン。インパルスに入る前はデッカやドットなどで活躍し、インパルス入り直前の1961年4月にはルーレット・レーベルのために、ルイ・アームストロングとデューク・エリントンのレコード史上初の顔合わせを実現するなどの成果を収めて注目された辣腕の持ち主です。
シールは時代の流れを敏感に感じ取り“the new wave of jazz is on Impulse!”をレーベルのスローガンにすえて、ジョン・コルトレーンとその周辺のミュージシャン(マッコイ・タイナー、エルビン・ジョーンズ、アーチー・シェップ、ファラオ・サンダース、マリオン・ブラウン、アルバート・アイラー等々)たちを積極的に起用して折から台頭しつつあったニュー・ジャズのレコード面でのドキュメントに大きな役割を果たしました。 1930年代からレコード界で活動してきたシールは、ジャズ界の最新動向をサポートする一方で主流派のモダン・ジャズをはじめ、スイング系の大御所やベテランたちのレコーディングも積極的に行い、インパルス・レーベルをオールラウンドなジャズ・レーベルへと発展させました。
主流派のモダン・ジャズのアーティストとしては、アート・ブレイキー、ソニー・ロリンズ、チャールス・ミンガス、マックス・ローチ、フレディー・ハバード、カーティス・フラー、チコ・ハミルトンらがインパルスに吹き込みを残したほか、スイング系のミュージシャンではデューク・エリントン、カウント・ベイシー、コールマン・ホーキンス、ベニー・カーター、ジョニー・ホッジス、アール・ハインズ、ベン・ウエブスターといった大御所が数々の名作を残しています。
1961年から1969年にかけてインパルスのプロデューサーとして活躍したボブ・シールは、ジョン・コルトレーンに最大限の吹き込みの自由を与えてアーティストとしての変貌の姿を克明に記録したのをはじめ、コルトレーンとエリントンの顔合わせやジョニー・ハートマンとコルトレーンの共演、エリントンとコールマン・ホーキンスの出会いなど歴史的なセッションを企画して持ち前の手腕を遺憾なく発揮しました。
インパルスは発足5年で100点を越すアルバムをリリースしましたが、1967年にジョン・コルトレーンが亡くなると、レーベルの牽引力は次第に減衰し、1969年にボブ・シールが独立したあと1970年代はコルトレーンの未公開演奏のアルバム化やキース・ジャレットをレーベルに迎えるなどして制作活動を維持しましたが、栄光の1960年代は二度とよみがえることはありませんでした。その後、インパルスは1980年代はMCA傘下でリイシュー企画を中心に継続され、1990年代に入って新生インパルスとして復活、制作面でもマッコイ・タイナーをはじめ人気テナー・サックス奏者マイケル・ブレッカーを迎えるなど再び意欲的な取り組みを示し始めています。
|