
ブルーノート
1939年にニューヨークで興されたジャズ専門のレコード会社。1940年代から1960年代にかけてのモダン・ジャズ黄金時代に『サムシング・エルス』や『ブルー・トレイン』、『クール・ストラッティン』など数々の名盤を生み、今日もなお名門レーベルの名をほしいままにしています。
創始者はドイツ人で米国に移住してきた熱烈なジャズ愛好家のアルフレッド・ライオン(1908〜1987)。また、幼いころからの親友フランシス・ウルフ(19??〜1971)が初期からパートナーとして参画しました。ライオンとウルフのコンビは、1939年1月録音のアルバート・アモンズとミード・ラクス・ルイスのブギー・ウギー・ピアノによる第1弾を皮切りにスイング、トラディショナル、ビ・バップ、ハード・バップ、ジャズ・ロックなど1960年代の間におよそ400種(1500番および4000番台シリーズ)に及ぶ膨大な量のアルバムを制作しました。
ブルーノートは1963年にリバティに吸収され、1967年にはライオンが引退、1971年にはウルフが他界して、黄金時代はその幕を閉じました。その後、1980年にリバティとともに大手のEMI傘下に吸収されますが、1985年に活動を再開、以後現在も積極的な制作でレーベルの旗印である“The Finest in Since 1939”の伝統を保ち続けています。
ブルーノートは、アルフレッド・ライオンのジャズへのひたむきな情熱と愛情を反映して、“ジャズの神髄”を伝えるために当初から妥協を許さない厳格なポリシーを貫きとうしていました。それは、アルバート・アモンズとミード・ラクス・ルイスによる歴史的な最初の録音がすでに当時としては異例の通常より演奏時間が長い12インチSP盤を採用していることからもうかがえます。また、ブルーノートはパイオニア精神を発揮しつづけたことでも知られます。初期のころはテナー・サックス奏者のアイク・ケベック、後にはピアニストのデューク・ピアソンらをタレント・スカウトに起用してジャズの未来を背負って立つ才能ある新人を積極的に発掘し、デビューのチャンスを与え続けました。
こうして1940年代から1950年代の初頭にかけてセロニアス・モンクやマイルス・デイビス、バド・パウエル、ファッツ・ナバロ、J. J. ジョンソンらのモダン・ジャズ史上不滅の歴史的な演奏が記録されました。1950年代中頃からは、アート・ブレイキーやホレス・シルヴァー、ソニー・ロリンズといった当時の気鋭のミュージシャンたちに自由な創造活動の場を与えて、ジャズの歴史に重要な貢献を果たすことになりました。
ブルーノートのもうひとつの特質はレコード制作にかけた創始者たちの愛情の深さです。ブルーノートは1950年代の初頭から以降、ジャズ録音の天才的な名人で今もなお健在なルディ・ヴァンゲルダーを全面的に起用して、ガッツのある特徴的なジャズ・サウンドを創りあげて広く世界のファンの心を捉えました。また、ブルーノートは盤質にもこだわり、アルバムのジャケット・デザインなどのパッケージングにもこだわって、ブルーノート・カラーを貫きとうしました。多くのアルバムのカバーを飾っているジャズ感あふれる傑作写真はブルーノートのフランシス・ウルフが撮影したものです。
また、ジャケットのデザインは、当時新進気鋭のグラフィック・デザイナー、リード・マイルスが担当し、今日でもその芸術性は高く評価されています。リード・マイルスは1956年発売の『ミルト・ジャクション』でフランシス・ウルフの写真を使って最初のカバー・デザインを手がけたのをきっかけに、以後11年間にわたってブルーノートのジャケットのアート・ワークを一手に担当しました。この間『ケニー・バレル:ブルー・ライツ Vol.1&2』では後の巨匠アンディ・ウォーホルの絵を使用するなど野心的な試みも行なっています。ブルーノートはミュージシャンと制作者たちがかかわった創造的なマインドの結晶だったのです。
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