内田先生から声をかけられて
私がはじめて先生とお会いしたのは、1975年(昭和50)私が22才のとき、岡崎市日名町にあったパブ「サムタイム」のオープンの際です。学生のときからジャズが好きだった私は、当時「サムタイム」のオーナーからライブ関係を任され、その後、東京から日野元彦(ds)トリオを呼びました。そのとき先生もいらっしゃって、「若いのに関心だなあ、これからこういうことがあったら誘ってください。」と声をかけていただき感激しました。その時のテープも先生のコレクションに入っていますよ。
ジャズレストラン「セントルイス」
その後、1978年(昭和53)に康生通西にジャズレストラン「セントルイス」をオープンさせ、1997年(平成6)まで毎週水・金・土曜日に東京や名古屋からミュージシャンを呼んでライブを行いました。この間には、ここでは言いつくせない、さまざまな出来事がありました。一番親しくおつきあいしたのは、今はもう亡くなられてしまいましたが、日野元彦(ds)さんですね。当時、日野さんが、いちばん初期のホンダのシビックに乗っていて、タイヤがツルツルだったんで、それで私がカンパさせていただいたのが始まりでした。それから、いろんなコンサートに一緒によく行きましたし、旅の途中に東名岡崎インターから降りて「京都に行く途中だけど、顔が見たくなって来たよ。」とひょっこりお店に来られたこともありました。
いちばん印象に残っているのは、宮沢昭(as)さんのライブ時に、台風が来て、お客さんがぜんぜん来なくて、先生にも事前に電話でお願いしていたんですが「用事があって、その日は行けない。」とおっしゃられましたので、結局お客さん一人でライブを行ったこともありました。それでも宮沢さんにはちゃんとギャラをお支払いしましたよ(笑)。
ドクターズ・スタジオの料理番
また当時の内田病院には、料理番としてしょっちゅう行ってました。その頃は、台所のどこになにがあるか全部わかっていましたね。じつは私は二番目の料理番で、一番目はもう亡くなられてしまいましたが、小料理屋「有栖」(うす)の谷沢さんでした。魚料理が担当で「鯉こく」が天下一品でした。私は肉料理が担当でしたね。とにかくコンサートやライブのアフターアワーズには、先生のお宅でミュージシャンが料理やお酒をもてなされ、皆「岡崎はいいところだ」とすごく感激していましたね。先生にとっては、若い一生懸命なミュージシャン達がほんとうにかわいかったんだと思います。
初心者にやさしいジャズを
「内田修ジャズコレクション」は、いろんなひとに親しんでほしいと思います。先生が一生をかけたジャズへの思いがこもった貴重なコレクションですし、たくさんのひとに知ってもらいたいと思います。とかくジャズはとっつきにくいものと思われています。確かにそういう部分もありますが、できる限り初心者にやさしい環境を作ってあげてほしいと思います。
レストラン「セレーノ」でジャズの話を
現在、私は岡崎市美術博物館内にあるレストラン「セレーノ」を経営しています。BGMには必ず、気持ちのいいイージーリスニング的なジャズを流しています。先生の料理番として料理には自信があります。お昼のコース料理もリーズナブルですし、市内を見わたせる夜景を見ながらのお食事も最高ですよ。
岡崎にお立ち寄りの際には、美術博物館をご覧いただいて、セレーノにもぜひ来てください。時間が許せば岡崎でのいろんなジャズのお話もお伝えしますよ!(ここでは話せないこともetc…)
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セレーノ厨房にて腕を振るう
吉見法夫(よしみ のりお)
岡崎中央総合公園内にある岡崎市美術博物館に併設されたレストラン「セレーノ」を経営
セレーノ
岡崎市高隆寺町峠1(岡崎市美術博物館内)
TEL 0564(28)5010

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