内田修先生との定期的な交流が始まったのは30年以上も前からのことで、正確には1971年の終わり頃からになる。当時、私はジャズの月刊誌「スイングジャーナル」 の編集長で、いってみれば、ジャズ界のまっただ中にいた。私が、岡崎市で大きな病院を開院している外科のお医者さんで、熱烈なジャズ愛好家で、日本有数のレコード・ コレクターという内田修先生のことを知ったのはそれより前のことだったが、先生と 直接お話しするようになったのは「スイングジャーナルのディスク・レビュー(新譜評)のレギュラー執筆陣に加わっていただきたい」とお願いしたときからのことだ。

 私が内田先生にレコード新譜評をお願いしたいと考えた動機は、先生が屈指のレコード・コレクターで、長くジャズを聴き続けてこられ、内外のミュージシャンとも幅広く交流されていることから、ジャズに関する該博な知識や高い鑑賞力をお持ちに違いないという判断からで、1972年1月号にお書きいただいた「牡羊座の詩/ ニューハード+富樫雅彦」の第1回目のレコード評を手にしたときは、感動した。

 期待したとおり、日本のミュージシャンへの深い愛情と理解がなければ書き得ない感動的な名文をお寄せいただいたのだ。それからおよそ10年近く、私が編集長を務めていた間は、毎月の新譜評だけでなく先生には折に触れて日本のジャズ界やヨーロッパのジャズ界のことなどについて特集記事も執筆していただいた。この間、先生が、いつも約束どおりに原稿を送ってくださったのは感謝というより驚きだった。何しろ大きな病院の院長として重責を担いながら、夜を徹して執筆していただくのだから、締め切りが迫ったときのプレッシャーは大変だったとおもう。原稿が、また読みやすく、きれいに清書されていたのは、先生の几帳面な性格を表していた。そのことは、その後、何度か岡崎の自宅にお邪魔したときにみせていただいたレコード・コレクションの整然と整理された状態にも反映されていた。一枚一枚のLP盤にはビニールのカバーがかぶせられていて、レーベル別にアレンジして、ガラスの扉がついたチークの立派な レコード・ケースに大切に保管されていたのである。

私が、「内田修コレクション」を“世界有数のジャズ・レコード・コレクション”と呼ぶ理由は、このコレクションの“保存の良さ”にあると考えているからだ。半世紀も前に世に出たレコードがまるで新品のような美しさを保っているというのは、ほとんど“奇跡”といっていい。それは、先生が、ミュージシャンであれレコードであれ、ジャズに注がれてこられた深い愛情の賜ものにほかならない。

児山紀芳(こやまきよし)
1936年、大阪府出身。ジャズ専門誌「スイングジャーナル」の編集長を通算17年にわたりつとめる。ジャズレコード・各地のジャズフェスティバルのプロデュース、「内田 修ジャズ・コレクション」(岡崎市美術博物館)における企画展「ジャズの街角」の監修にもあたり、日本を代表するジャズ評論家として幅広く活躍中。


岡崎市シビックセンター・リハーサル室にて。

メッセージ「ゆかりの人物編」TOPHOME.