内田先生は雲の上の人
内田先生と最初にお会いしたのは、1964年(昭和39)私が高校3年生のとき、友人に連れられてヤマハ・ジャズクラブの第2回(初のライブ)のコンサートの時にお目にかかったのが最初でした。当時は自分も学生でしたし、内田先生は、まるで雲上人のような存在であり、とても気軽にお話できるような人ではありませんでした。でも次の年の暮れ、第12回「猪俣猛とウェストライナーズ」のコンサートに、バークレー音楽大学から帰国したての渡辺貞夫さんが飛び入りで参加された後、先生から「君も打ち上げに行かないか?」と声をかけられ、お供をさせていただきました。それが今日に至るお付き合いのはじまりでした。
そのときのエピソードなんですが、コンサートがはじまる前、会場に到着したばかりで、まだトレンチコートを着たままの渡辺貞夫さんから、「どこか練習するところはありませんか?」と聞かれたことがありました。ふつうは到着したら、やれやれと一服するのが当然だと思いますが、渡辺貞夫さんのジャズに対するひたむきさに感激したのを覚えています。
なつかしい岡崎のまち
その後、大学生になってからは岡崎によく遊びに行き、食事をご馳走になったり、またあるときは先生から、「もう着なくなったから」とヴァレンチノやエルメスなどの洋服をダンボール一箱分いただいたこともあります。なかには、まだ袖を通していない物もあったと思います。岡崎は先生とのお付き合いのなかでたくさんの思い出があり、私にとってはたいへん懐かしいまちとなりました。
若い世代にジャズを
先生が岡崎市に寄贈されたコレクションは、他に例のない貴重なものだと思います。特に今の若い世代にジャズに親しんでもらうきっかけとして、活用していただければと思います。それとできることならジャズだけに限らず、私たちがビートルズをリアルタイムで聴いて大きな影響を受けたように、いろんなジャンルの音楽を身近に感じ、楽しんでもらえるといいなあと思います。
渡辺貞夫さんを「サダオ君」と呼べるのは、今はもう先生ぐらいだと思います。数々の日本のジャズミュージシャンを支えてきた先生には、長生きをしてもらいたいですね。
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ジャズスポット「ドナ・リー」(名古屋・栄)にて。
伊藤邦治(いとう くにはる)
長年にわたりヤマハ・ジャズクラブ会長を務めるとともに、ミュージシャンの記録写真など映像関係をまかされている。名古屋市中区栄にて伊藤歯科医院を開業。

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