2004年12月12日(日)
知立リリオ・コンサートホール主催クリスマスジャズスペシャル『坂田明・mii(ミイ)』本番直前に行ったインタビュー。
Q:インタビュアー(シビックセンター)
S:坂田 明
Q:内田先生も病院を閉院され、岡崎市にジャズコレクションを寄贈されて12年近くなります。今日は、坂田さんに当時のドクターズ・スタジオの思い出やエピソードなどをお聞きしたいと思い、それともちろん坂田さんの生演奏をお聴きしたくて岡崎から参りました。
S:もう12年ですか?早いものですね。僕は当時、東海テレビが制作した番組(Dr.Jazz内田修の選択)のお手伝いもやっていましたので、岡崎はなつかしいですね。岡崎市が先生のコレクションの寄贈を受けたと、ふーん それでシビックセンターに資料室を設け、資料の保存や整備をやっているという。なるほど。こういうのは受け手がしっかりしないとね。ご寄付はありがたいけど誰が管理してキープするかっていう問題があるからね。そういったことから考えれば理想的なかたちじゃないのかな?
Q:当時のドクターズ・スタジオは、どんな風だったんですか?
S:岡崎の内田病院には、入院した時も含めて何度も行っています。行った時には、必ずあのスタジオにお邪魔してましたね。練習したりレコードを聴いたり自由に使わせてもらいました。レコードやテープが山のようにありました。その隙間でやっていましたね。
Q:泊まるのは病室だったんですか?
S:入院患者の時も、そうでない時も病室ですよ。でも食事は病院の食事じゃなくて、先生のご自宅で先生の家の食事をいただいていました。先生とは向かい合いながら食事はいつも一緒。先生は「今日おまえは手術をして、抗生物質を打ったんだから、ビールだけにしとけ」とかね。「えっ!なんじゃこりゃぁ?」でした。いい先生だなあ〜と思いました。
Q:今の先生と当時の先生と違いはありますか?
S:そりゃ全然ちがいますよ。当時の先生は現役の医者ですからね。何と言っても、現役の医者の緊張感っていうのはやっぱりありますよね。何というか、威厳がありますよ。今は本当にジャズ好きのオヤジですからね。
Q:じゃあ、その頃は厳しいというか、恐いような感じですか?
S:うーん。怖いというより、主治医、後見人、保護者というのをひっくるめたような感じかなあ。こうしろって言われたら「はい!」って言うしかないですから。今とは別人28号ですね。
Q:やっぱりそうですか。先生よく言っておられるんですけど、「本業やるのは当り前だと。それ以外のなにかを見つけなさい」って。
S:当時の先生は医者っていう本業がビシッと通っていて。それでいて、寝る間を惜しんでジャズの世界に入ってましたね。それは誰でも出来ることではないですねえ。生れついてのものが、先生にはあるんでしょうかねえ。お医者さんのジャズ好きはわりと多いんですよ。でも、内田先生ほどの方はいませんね。あそこまでっていう方はおられないでしょうね。重い録音機を担いで夜行列車で東京に行くっていうような人いませんよ(笑)時代性もありますけれど、先駆けでしょうね。先生でないとやっぱり出来ない。まあ、お金かかるし…。そのモチベーションが強力に凄いですよ。
Q:当時、病院の看護婦さんとかはどんな感じでしたか?
S:岡崎の内田病院に行くとある種ほっとするというか、「まあ、また来たの?どうしたの?」ってみたいに看護婦さんに声をかけられて。ざっくばらんな方が多かったです。それに自宅には先生の奥さん、お嬢さん、息子さんとかおみえですから。もう、なんか包まれてるって感じ。僕らは本当に内田先生と一緒に居られるということで安心してその…うーん、音楽活動が出来たと。「困ったら内田病院に行けばいい」と、いう気持ちでいましたからね。
Q:先生に「頑張れよ!」って言われると、すぐその気になってしまうというような…?
S:具合が悪くてもね、岡崎に行って先生に「何ともない」って言われたらね、それで治っちゃう。もう僕なんかは初めて「合歓ジャズイン」に出た時に、内田先生に認められて、「お前は本当にいい」って言われたもんですから。まぁ、新人であったにも関わらず、かわいがってもらってですね…それからずっとですから。ありがたいことこのうえないですね。もうそれから30年を越してますよ。とんでもないことですね。
Q:先ほどCDを拝見させていただいたんですが「フィッシャーマンズ・ドット・コム」っていうタイトルだったんですけど。それと坂田さんホームページのミジンコ研究とかあるんですけれど、あれはお魚系がお好きだからということですか?
S:僕はね、学校が水産学科でしたから。
Q:広島が、ご出身ですよね?
S:そうなんです。生まれ育った所は半農半漁の海沿いの小さな街ですね。僕らの時代に漁師の連中で、大学なんかに行った者なんかおらんわけですよ。それでみんなが「お前が大学から戻ってきたら、俺等の状況もなんとかしてくれるんじゃないかと期待しとったのに、東京行って楽隊になるそうだなあ」と、漁師の期待を裏切った。その罪滅ぼしかなあ。
Q:でも、やっぱり水産の方も、捨てきれない。
S:水産が嫌いであった訳ではないのでね。好きだからこそ、大学の水産に行ったんですけど。まぁ、結果的に人生を生きる上においてジャズの方を選択してしまったものですから、ジャズをやりながらも漁師のこととか、生き物のこととかは、自分の中では、ずっと一つのテーマなんですよ。ミジンコのこととか、けっこう自分が創る世界では一体化していますね。
Q:ミジンコもそうだと思いますけど、魚を飼うのも楽しいですよね。きれいですし。
S:ええ、面白いです。縄張りをつくるとか、繁殖行動の一部始終とか、卵から孵化した子供の生きている姿に感動します。水族館の水槽を上から見るとすごくおもしろいですよ。マグロなんか、こんな幅があってボリュームがありますよね。マグロ・カツオは飛行機かと思うくらいなプロポーションをしていますね。だから、僕は知り合いのいる水族館ではバックヤードを見せてもらいますね。どうなってんのかな?と。その仕組みを見るとかね。「大変だな〜、おもしろいなあ〜」って。
Q:水産関係をルーツにされる坂田さんならではの世界ですね。その辺があってミジンコの研究もやっておられるんですね。
S:うーん。まぁ、要するに好きな事をやってるだけなんですよ。それがまぁ年月が経てば自分の中で溶け合っていく。ずっと同居してますからね。例えば、風呂場の風呂桶を半分に仕切って、こっちに熱い湯と、こっちに冷たい水が入ってるみたいな感じで、こっちに音楽、こっちに水産みたいなことであるんですね。それでお湯と水の間で熱が動くわけ、終には同じ温度になって、あとはだんだん両方が冷めていきますよね。まるで違うものは体の中にいっぱいあるんですが、これが年月が経つ事によってみんな混ざりあうっていう感じですね。お酒なんかもそうですよ?絞った直後はすべての味が尖っています。だけど時間を置くと熟成してまろやかになりますよね。自分の中の違う個性、性格であってもやがては、熟成しつつ折り合いを付けていかないとね。
Q:自分の中の色々な個性が混ざり合って、一人一人の個性を創り、それが人生になるというようなことですか?
S:そうです。だから、そういった意味で、それぞれの人生ですから、僕はこういう人生になってしまったんですよ。他のミュージシャンは他のミュージシャンの人生になってる訳ですよ。内田先生はあのような人生になってる訳だし…。そういうことじゃないですかね。みんなそれぞれの人生ですかね。
Q:最後に先生にメッセージをお願いします。
S:うーん、とにかく「あんまり酒を飲み過ぎないようにしてください」かなあ。まあ、気持ちよくのめればそれでいいのですけど。僕も適当に気持ちよく飲んでるくせに、先生もよく飲むなぁと、あきれつつ心配してますよ。意味不明だなあ、まったく!
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