2003年2月24日、みぞれ混じりの小雨が降る寒い夜。東京南青山にある老舗のライブハウスの「BODY&SOUL(ボディ&ソウル)」で行なわれた岡田勉セッション“岡田 勉(b)、峰 厚介(ts)、野力奏一(pf)、村上 寛(ds)”。通称「ヒコのりベン」4名による寒さを吹き飛ばす熱いステージ終了後、メンバーよりメッセージをいただきました。
※みなさんステージ終了後で少しアルコールが入っていました。
岡田 勉(おかだ つとむ)
ベース
先生、もう30年以上のおつきあいになりますね。以前、私が肺炎の際は、岡崎の内田病院で1ヶ月間にわたってたいへんお世話になりました。どうもありがとうございました。それと、先生の病院には、きれいな看護婦さんがたくさんいましたね。先生がすべて面接したんですよねえ・・・(笑)
岡崎市にお願いしたいのは、先生が長年私財を投げ打ち、先生がいたからこそ築くことのできた貴重なコレクションだと思います。先生の意志を継いで今後も発展させてください。
僕はジャズをやっていますが、音楽を聴くときには、ジャンルにこだわらずいろいろなタイプの音楽を聴いています。だけどやっぱりプレイするのは、ほんとにジャズが好きだからだと思います。これからも続く限りジャズをやって行きたいと思います。
先生、いつもお世話になっていますが、これからもお世話になりますからよろしくお願いします。
峰 厚介(みね こうすけ)
サックス
先生、岡崎に行ったときに先生がいないと寂しいので、今までどおり先生のツルの一声で何でもご命令いただければすぐに動きますし、自分にとっても「好きだから、やめられないジャズ」です。先生もいつまでも元気な「岡崎のジャズバカ殿」としてお身体を大切にしてください。
2002(平成14)年7月に岡崎市のホール(コロネット)で、先生から声をかけていただいてコンサートを行ったとき、ジャズを聴いたことがない人から言われたんですが、はじめてジャズを聴いて「なんかいいなあ…」と感じてもらえました。岡崎市にお願いしたいことは、例えばコロネットのジャズコンサートをきっかけにライブハウスにも行ってもらえるような、広がりを持った活動を続けていってほしいと思います。そういった意味で市によるジャズコンサートを今後も続けてほしいと思いますね。
野力奏一(のりき そういち)
ピアノ・キーボード
多くのジャズメンの悩みを聞き、救い、そして開放された先生。先生から受診を薦められた人間ドックの際は、たいへんお世話になりました。あの時、僕の肝臓の数値を見て「わしの数値より低いから、オマエもっと酒を飲め」と励ましていただきありがとうございました。
そういえば、名古屋のヤマハ・ジャズクラブで先生の一声で普段では絶対やらないメンバーでセッションを組んだこともありました。いい経験となっています。
ジャズは僕にとっては、一生かかっても手にいれたいけど、手にいれることのできない永遠の憧れのようなものです。これからもずっと続けていきますから、女の子のミュージシャンだけでなく、男の子のミュージシャンもめんどう見てくださいね!
村上 寛(むらかみ ひろし)
ドラムス
最初にお話したとき「君、ガンバレ」と言われて、それから30年以上になりますね。また、手術の際はお世話になりました。きっちりと縫っていただき、たいへん感謝しています。
岡崎市には、いいホール(コロネット)がありますので、単発ではなく、コンスタントにコンサートをやってほしいと思います。そうすればジャズの底辺も広がり、いい感じになるんじゃないかと思います。そういった活動により先生の寄付したコレクションもみんなが身近に聴いたり、触れたりして生きてくると思います。先生も喜ばれると思います。いつでも気軽に生(ライブ)聴ける環境をつくってほしいと思います。
先生、お身体を大切に!長生きしてくださいね。
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「BODY&SOUL」南青山でのライブ風景。

岡田 勉(おかだ つとむ)↑
1948年、愛媛県出身。大学在学中、ロックバンドのギター担当からジャズバンドに転向。 日野元彦トリオ、日野皓正グループなどに参加後渡米。帰国後、数々のセッションで活躍現在に至る。

峰 厚介(みね こうすけ)↑
1944年、東京都出身。69年、菊地雅章に見出され、彼のバンドに入団。アルトプレイヤーから71年より、テナーサックスを吹き始め、78年にネイティブ・サンを結成。スイングジャーナル誌のテナーサックス部門では91年より8年連続ウィナーに輝いている。

野力奏一(のりき そういち)↑
1957年、京都生まれ。74年父親の‘ベラミ・オールスターズ’に参加。’85年 「渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ」の音楽ディレクターに迎えられる。ケイコ・リー、寺井尚子他共演を希望するミュージシャンは数多く、日本を代表するピアニストとして活躍中。

村上 寛(むらかみ ひろし)↑
1948年、東京都出身。大学在学中に本田竹廣トリオでプロデビュー。78年ネイティブ・サンを峰 厚介等と結成、大反響を呼ぶ。89年、フォーサウンド結成し多彩なセッション活動を開始し、そのリズムは絶大な信頼を受けている。
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