光り輝いてましたね!
 僕が19才の時、「岐阜に若い、すごいアルトサックスがいる」と言って、先生がわざわざ僕の演奏を聴きに来てくれたんです。その時、初めてお会いしました。とにかく周りが「先生、先生」って言ってましたから、偉い人なんだろうなと思いました。それ以来、ずっとお世話になっています。それとその頃より既に光り輝いてましたね!

先生の食事にメニューはない
 僕、先生の病院に入院していた時があったんですけどね。食事はいつも先生とご一緒させていただいてました。晩ごはんは毎日のように「保名」(やすな)っていう小料理屋で、お昼はお蕎麦屋さんの「丸長」(まるちょう)に行くんです。そこは、お蕎麦屋さんなのに、まず、お刺身が出てくるんです。ちゃんと先生のために用意してあるんです。ほかにも、いろんな品が出てくるんですが、メニュー見てもぜんぜん載ってないんですよね。
 で、食事が終わると「オイ。たのむ。」とか言って帰っちゃうんですよ。お勘定どうしてるんでしょうね。よーわからんですよ。
 ゴルフ場のレストランに行っても、まずチーフシェフが来て、「今日は太刀魚の刺身がございます」とメニューにないものを紹介。先生が「そうか、太刀魚はあと塩焼きにしてくれ」そんなかんじですよ。

先生と飲むときは…
 先生とお酒を飲むとき気を付けなきゃいかんことがありましてね。ビールの注ぎ足しはいかんのですよ。「まだ入っとる」って。で、飲み干したところを見て、自分も飲み干す。そして、間髪入れずに先生に注ぎ、自分にも注ぐ。あと、先生よりたくさん飲まないことです。飲むと機嫌が悪い。
 以前は、お昼はビール一本って決まっていたんですよ。ですから「オイ。オマエあんまり飲むな。オレのがなくなるぞ」と僕に言った後に「オイ。森君が飲んじゃったから、もう一本出してくれ」といって僕のせいにして飲むんです。
 奥様が亡くなられてから、「お昼のビールは一本まで」と言う人がいません。それで僕が言うようにしています。でも結局「オイ。こいつが飲んじゃったからもう一本くれ」…。

正倉院の宝ものと同じように
 僕は生まれ変わって、何百年か経ってから先生のコレクションがどうなっているか覗きに来たいですね。未来でもきちんとした状態のコレクションを見てみたい。そのためには保存方法が大切になってきますよね。
 コレクションは正倉院の宝ものと同じくらい、いやそれ以上の価値があるものだと思います。ですから、これからジャケットのぼろぼろな所を補修したり、レコードも時々カビが生えていないか確認したり、そうゆう作業やレベルの高い保存方法が必要になってきますよ。

若いみなさんがジャズを聴くには
 「ジャズを勉強しなさい」と言いたいですね。ただ闇雲に聴くより、勉強することで、いろんな歴史や理由が見えて、そういうことを知ってから聴けば、また演奏に興味が持てる。それが大事って気がしますけどね。
 そのためにも、コレクションをもとにコンサートを開いたり、レコードジャケット見て楽しんだり、市民文化の広がりのためにコレクション使っていただけるのは嬉しいことです。

先生、老人ホームつくってください!
 老人ホームを先生に作っていただいて、ジャズメンを集めてそこに僕も入れてもらってね。楽しいですよ。先生も僕たちもきっと楽しいし長生きしますよ!


10代の頃の森剣治(男前?)

森 剣治(もり けんじ)
1942年京都生まれ。1960〜70年代にかけて日本を代表するミュージシャンと共演。1980年西ドイツのメールス・ジャズ・フェスティバルで世界的に話題になる。現在、数々のセッションでプレイする傍ら、後進の指導、プロデューサーとしても活躍する中部を代表するサックスプレーヤー。


岡崎市シビックセンターのリハーサル室にて。

メッセージ「アーティスト編」TOPHOME.