噂の人物
僕、横浜の「ちぐさ」っていう終戦直後からやっているジャズ喫茶によく通ってたんです。そこで、こんな先生がいるって噂を耳にしてね。「ちぐさ」のマスターに、もし名古屋の方に行ったら訪ねてみなよって言われてたんです。
その頃、シャンソンの伴奏を仕事にしてたんですけど、たまたま名古屋で仕事があったんで、その帰りに先生に電話してみたんです。それで、いらっしゃるって言うんで行ったんですよ、岡崎に。そこで初めて先生のお宅に伺って、応接間に通されてね。先生が「時間があるなら2.3日居てもいいから」って言ってくださってね。もちろん居ましたよ。
夢の世界へ居候
僕、先生のとこに一月以上居たことがあるんです。いいですよ、先生のところは。何がいいかってレコードの数が半端じゃないっ!当時高かったレコードがあんなにいっぱいあって我々には夢のような世界。スタジオに寝泊りしてむさぼる様に聴きましたよ。しかも、連日連夜おいしいもんをご馳走してもらえちゃう!腹へってうまいもん食ったことないメンバーばっかりだったからね当時。こりゃ絶対手放さないようにしなきゃってもう大変。
でも一月以上居候してるとね、居候を通りこしちゃって元から居たような生活。家族になってました。奥さん大変だったでしょうね。ありがとうございます。
音は命の響き
僕、上手じゃないんですよ、ベース弾くの。順調に楽器を習得してやってきた訳じゃない。高柳昌行(g)や菊池雅章(p)達に啓発されて進歩してやってきた。ベースを通じて、自分の音楽をどうやって表現するか、楽器を通じて生き方を学んできました。人間が見えちゃうからね、楽器を通じて。その人の考えとか、普段どんな生活して、それにどんな風に立ち向かっていくのかってわかるからね。でも、ベース選んだから、他の人に出来ない事ができたんだろうなって思ってます。
僕たちの革命理解者
先生は銀巴里の頃から変わらず応援してくれてます。誰彼と関係なく、一生懸命やってる人をみんな応援される方なんです。ささやかな僕たちの革命、破壊と創造を繰り返す人達を理解し支援してくださった。音楽がお好きだけれど、ただそれだけじゃなく守ってあげたい…と思われているんでしょう。
先生、ずっと変わらず応援していてください。
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2002年12月6日豊田市「あしたの音楽展」にて。(C)斎藤武邦
金井英人(かない ひでと)
1931年東京生まれ。独特のアレンジがユニークかつ芸術的であるベーシスト。コンサートのプロデュースも手がける。詩とジャズの融合を試みるなど先駆的精神にあふれる人物である。現在も横浜のライブハウスを中心に活躍中。

1962年8月26日名古屋クラブコンボにて。手前左テープ録音するDr.Jazz。
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