2004年6月12日(土)、シビックセンターコンサートホール「コロネット」でのインタビュー。

Q:シビックセンター
K:加古隆

Q:1986年に内田先生が連載されていた新聞記事(中日新聞「ドクター内田のジャズに乾杯」1986.6.23掲載/第1回)の中に、「加古さんとはもう10年前からのお付き合いだ」と書かれていますから、先生とは、もう30年くらいのお付き合いになられるんですか?

K:加古隆 それくらいだと思いますね。僕は、1976年にパリから帰ってきて、1977年の1月に帰国コンサートを東京で行いました。その時は知らなかったんですが、そのコンサートに岡崎から内田先生がわざわざ来てくれたんです。
僕自身、デビューしたのがフランスだったものですから、逆にむこうで活躍している日本人ということで知られていたくらいで。それ以前のヨーロッパに行く前は全くの学生ですからね。
当時既に、内田先生はジャズの世界でもう“岡崎の内田先生”と呼ばれ誰でも知っているわけですよ。たかが若僧の日本でのデビューコンサートにわざわざ岡崎から来ていただいたわけです。
それに、いらっしゃることをだれかに一言声をかけてくだされば、まわりの関係者が、絶対に僕に話して、席を用意していたと思います。でも、そういった事を一切なさらないんですね。自分でチケットを買って来てくださって。わざわざ来たということもおっしゃらないんです。僕も後になって知ったんですよ。すばらしい方だと思いました。

Q:初めて先生にお会いになられた時の印象はいかがでしたか?

K:帰国コンサートの後に、ドラムスの富樫雅彦さんのバンドのサイドミュージシャンとして名古屋に来た際に、初めてお話させていただいたんですが、とにかく寿司屋に連れて行かれてね。「好きなのを好きなだけ食べなさい」ってカウンターに座らされてたんです。当時、自分の財布でお寿司屋さんに行くなんてありえないですから、たいへんごちそうになりました。(笑)
僕がリーダーで来てるんだったらまた扱いも違うでしょうからわかりますけど、そうじゃない。やっぱりジャズが好きでしかたない。愛してらっしゃるんだ。というのが根本にあるんだと思います。ミュージシャンはすごくそう感じるんですね。

Q:先生からは、ニューヨークで会われたこともあるとお聞きしていますが?

K:はい、あります。あれは1995か96年だと思います。僕のアルバムがアメリカで発売されて、それを記念してニューヨークで600人くらいのホールでのソロコンサートを行いました。でも日本国内では、まったくPRしていませんでしたので、日本人の方がいらっしゃったとしても、それはニューヨーク在住の方くらいだろうと思っていました。
ところがコンサートが終わってからレセプション会場で、「加古君」って呼ばれて、振り向くと内田先生がいらしてて…。僕は非常にびっくりして「どうしたんですか?」って言いました。どうやらちょうどその時、ニューヨークにいらしてて、それで偶然僕がやるっていうのを知ったみたいでわざわざかけつけてくださったんです。

Q:日本からは内田先生ただひとりだったのでしょうか?

K:日本から来ている方は先生おひとりでしょうね。ニューヨーク在住の方は何人かいたと思いますけど。それはやっぱりびっくりしました。そうとうきちんと情報をご自分であたっていないとわかるわけがないんです、それは。

Q:先生は、ご自身のアンテナを張ってみえるんですね。

K:そうですね。ニューヨークの時もそうですし、僕のデビューコンサートにしても、つねにアンテナを張られていますね。
たとえばプロのそういう業界の評論家の方とか、プロデューサーの方とかいらっしゃいますよね。内田先生はそういう方たちのアプローチの仕方とは一味違うんですね。やっぱり基本にジャズを愛していて、それからジャズをやっているミュージシャンをとにかく愛していて、好きで。それが基本にあるんですよ。
だから“岡崎の内田”といえば、だいたいジャズの世界ではみんな知っている。でも先生は、名前で存在感をアピールしようとか全然ないんです。そうではなくて、とにかく一生懸命やっている若いジャズミュージシャンが可愛くてしかたないって言って、「ちゃんとしたもの食ってないだろう?」「ちゃんと食べなさい」って。僕もいちばん最初がそうだったように。

Q:最後に先生にメッセージをお願いします。。

K:今でもコンサートがある際には「先生の席を用意しますよ」ってお伝えするんですが、「いやいや自分で買って行くから、そんなことはしなくていいよ」って言われます。それで、ほんとに来てくださるんですよ。とてもありがたいなぁと思っています。
実は僕、先生との会話でいちばん印象に残っていることがあるんです。
最初お会いした頃1970年代から80年代にかけて、僕はジャズピアニストという名前で活動をしていました。そこで内田先生との接点があったことは、まぁごく自然なことなんですけども…。それから徐々に、1980年代の後半からでしょうか…、僕のことをジャズミュージシャンっていう人がだんだんと少なくなっていきました。僕の音楽活動が、時と共に変化してきたんです。これは、僕が意識してそうしようと思ってやったわけじゃなくて、自然にやりたいことをやって、そうなってきたんです。
そういうなかで、「もう加古隆はジャズじゃないよ」と遠のいていく方も沢山いたであろうあるとき、内田先生が僕のピアノ・ソロ・コンサートにいらしてくれたんですね。コンサート終了後、「先生、懐かしい」ってごあいさつしました。
その際に、「僕、今やっている音楽はジャズと言えるかわからないし、ジャズでないかもしれないから」ってちょっと気兼ねして先生に言ったら、「そんなこと全然関係ない。加古君は、ずーっと同じ。君の音楽やってるよ」って言ってくださいました。先生にとっては、そんなことは問題ないって言い方をされたんです。それがすごく嬉しかったですね。そうじゃない方たちもけっこういたから、それはそれで僕はしかたがないと思っていました。
だけど、内田先生のようにジャズを聴く能力をすべて持っていて、ジャズのことを何でもわかっていらっしゃる方が、そんなふうに言ってくれた。
「加古君、何にも変わってないんだね」って。「本質は変わっていないし、あなたの音楽をやってるんだから」と言ってくださったことは、非常に嬉しかったし、今でもたいへん感謝しています。
この場をお借りして、感謝を込めて僕はそのことを先生にお伝えしたいと思います。

加古 隆(かこ たかし)
作曲を東京芸術大学・大学院、パリ国立音楽院で学び、パリで音楽家デビュー。数々の音楽賞を受賞し、日本を代表する作曲家の一人で、紡ぎ出す音色の美しさから「ピアノの画家」とも形容される。クラシック、ジャズ、現代音楽を包含した音楽スタイルと、心に響くメロディーとスケール感を合わせ持つ。通算では50作以上のアルバムを発表。デビューから現在までのコンサートは26カ国約200都市に及ぶ。


2004年6月12日(土)「コロネット」でのピアノ・ソロ・コンサート。

メッセージ「アーティスト編」TOPHOME.