内田先生との出会い
 内田先生と初めてお会いしたのは、正確に覚えていないのですが、1970年代の半ば名古屋のジャズクラブ〈ラブリー〉ではないかと思います。ジャズ歌手としてやっと地方に行けるようになった頃ですね。池田芳雄さんのバンドの一員であったか、高瀬アキトリオと一緒であったかそのへんがさだかではないのですが、とにかくラブリーであったようです。
 お店の一番奥にお座りになって演奏を聴いていらっしゃる姿、今も同じ。その日の演奏の感想を短くずばりと残して行かれます。

命をかけて演奏する理由
 先生のご自宅に伺ってスタジオに入った時はビックリしました。壁のすべてがレコード棚。あれも聴きたいこれも聴きたいと、私たちにとってまさしく宝の山でした。今はほとんどがCD化されているのでしょうが、LPで聴くほうが芳醇な音を楽しめるのでしょうね。その意味でも内田先生のジャズコレクションは、これからますますたくさんの人に楽しんでもらいたいですね。
 内田先生は私たちミュージシャンにとって本当に頼りになるお医者さまであり、またずいぶんご馳走をしてくださったスポンサーでもあります。そのために内田病院が無くなったのではないかと申し訳なく思っています。みんなでよってたかって飲んだり食べたりした分、命をかけて音楽に精進し、いい演奏をし、先生に喜んでいただかなければ罰が当たると思っています。
 自分がした事は憶えていても、人にしていただいた何かは忘れがちです。先生は私たちにしてきてくださった事をおっしゃいませんが、それこそたくさんのこと、忘れまいと思います。

内田先生へメッセージ
 内田先生、いろいろなライブに足を運んでくださり、あたたかい眼差しで見守り、私たち日本のジャズ人間を育ててくださり、ありがとうございます。
 先生のいろいろな表情を今思い出しています。酔っていらしてもジャズを語る時は目の色が真剣に輝き、口元が引き締まりますね。ちょっぴりエッチでちっとも偉そうでないのも先生の魅力。しかめっ面で難しい事をおっしゃるだけの先生でしたら、こんなに慕われなかったかもしれません。
 音楽を愛して止まず、ジャズに深く関わってこられた先生に、本当に良かった、と感じていただける歌が歌えるようになりたいと思っています。
 私達の音楽が先生をはじめとする支えて下さる人たち、聴いて下さる方たち、後に続く音楽家たちに幸せや勇気を与えられるものでありえるよう、精進していきたいと思っています。

 先生、ありがとうございます。ホント長生きしてチョウ!ですよ。


2003年6月8日「ハママツ・ジャズウィーク」楽屋にて。

伊藤君子(いとう きみこ)
香川県小豆島生まれ。ポップス歌手としてレコード・デビューし、その後ジャズ・シンガーに。国内外のミュージシャンらと数々の共演をこなし、世界的に活躍するジャズ・ヴォーカリスト。スイングジャーナル誌の人気投票で、1988〜96年の女性ヴォーカリスト部門第1位を獲得。


2003年1月8日「六本木alfie」にて。


「葵博 岡崎'87」ジャズスペシャルナイトでの伊藤君子。

メッセージ「アーティスト編」TOPHOME.