銀巴里での出会い
内田先生とは、僕がまだ20代の初めの頃、銀座の「銀巴里」というシャンソン喫茶で金曜日の昼間に集まる「新世紀音楽研究所」というグループの時に知り合いました。その時のメンバーは、高柳昌行(g)さん、金井英人(b)さん、影山勇さん(b)、宇山恭平(g)さん、中牟礼貞則(g)さん、富樫雅彦(ds)さん、菊地雅章(p)さんなど、今思えば日本のジャズを引っ張ってきた、そうそうたるメンバーですね。まだその頃、自分は若手ミュージシャンの一人として参加していました。そのセッションを内田先生が昔のソニーのスリーセブンという大きなリールトゥーリールのテープレコーダーを岡崎から電車で運んできて録音し、先生がレコード会社に無償で提供したのが『幻の銀巴里セッション』としてリリースされました。それが自分にとってはレコードデビューになりました。
ドクターズ・スタジオはジャズの宝庫
その頃から、岡崎の先生の病院には、しょっちゅう行ってましたよ。病院内にあるドクターズ・スタジオには、レコードや本、最新のオーディオ機器、ジャズに関する資料、ピアノ、ドラムセットなどがあり、とにかく我々にとってはよだれの出るようなジャズの宝庫でしたね。その頃は、お金もないし、レコードも高くて買えませんでしたから、岡崎に行ってレコードをコピーさせてもらって、資料を勉強し、思いっきり練習させてもらい、その後、先生の家でご馳走になり、飲んで、スタジオの中で寝ている奴もいました。ほんとにお世話になりました。
「岡崎」はジャズの代名詞
ジャズを岡崎市のように、行政がこんなに取り上げてくれることはまずないと思います。それは、やはり内田先生の今までの功績であり、永い間ジャズを愛し、ジャズを皆さんに紹介し、特に日本ジャズを育てた証しだと思います。これは、我々ジャズメンにとって岡崎と言えばジャズの代名詞みたいになっていることが物語っています。これは、ほんとうに素晴らしいことで、ジャズに関わっている者にとって、深く感謝したいと思います。
このホームページを世界中の人に見ていただいて、文化に触れ、親しみ、楽しんでもらえば、現在のさまざまな国や民族が抱えているいがみ合いとか戦争についても、そういったこともなくなるじゃないかと思います。これからも「内田修ジャズコレクション」応援しますよ。「芸術の都 岡崎」と言われるように、コレクションを活用していただきたいと思います。
最後に「先生ほんとにありがとう。これからも長生きしてください!」
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日野皓正(ひのてるまさ)
1942 東京生まれ。9才の頃からトランペットを始め、今や世界のジャズ・トランペッターとして活躍。

岡崎市シビックセンターにてコレクション展示を眺めるDr.Jazzと日野皓正。
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