スプリング・ジャズフェスタ
小林美千代 井上陽介 東原力哉 竹下清志

2008年1月28日(日)岡崎市シビックセンター


K:小林美千代
I:インタビュアー

I小林美千代さんにとって、内田修先生はどんな存在でしょうか。

K:内田先生はもう、ジャズミュージシャンみんなが頼りにしてるというか、なんというか、あの存在はやっぱり大きいですね。

I:内田先生と出会われたのは、何年くらい前ですか。

K:初めてちゃんとお会いしたのは、7・8年くらい前だと思うんです。わたしが、スター・アイズという名古屋の覚王山にあるお店で、ちょっと飛び込みで、ライブに飛び入りさせていただいた時に、内田先生が聴きにいらしてたんですよ。その時に、こんな風に飛び入りで演奏する子は最近少ないから、これからも頑張りなさいって言ってくれたんです。

Iその内田先生のジャズコレクションが、平成20年11月1日に完成する岡崎市図書館交流プラザの「内田修ジャズコレクション展示室」にて、さらに充実して公開されますが、今後の岡崎市のジャズ事業にどのようなことを期待されますか?

K:こういうことは全国的にも多分珍しいと思います。私は名古屋出身ですが、近くの岡崎が、これからもジャズをどんどん発信していただいて、ジャズがもっと皆さんに広まって、もっと身近なものになるといいなぁと思います。

I内田先生にメッセージはありますか?

K:これからもほんとにお元気で、お店に聴きにきていただき、ジャズミュージシャンみんなの応援団長になっていただきたいです。そのためにも、健康で頑張って長生きして欲しいなと思います。



Y:井上陽介
I:インタビュアー

I今日は岡崎にお越しいただき、ありがとうございます。さっそくですけれども、井上さんにとって、内田修先生はどんな存在でしょうか?何か思い出がありましたらお聞かせください。

Y:僕が内田先生と本当にはじめて親しくお話しできたのは、1991年、僕がニューヨークに移り住んだ頃だと思います。そのころ内田先生は年に多分2、3回はニューヨークに来られてたんですよ。それで、ニューヨークで活動している日本人ミュージシャンたちを、レストランにご招待してくださったんです。みんな苦労してることをご存知なので、御馳走してくれて。で、まぁどうしてるとか聞かれたり、ライブももちろん聴きに来てくれて。内田先生という存在は昔から知ってたんですけど、本当に親しくお話しできるようになったのはニューヨークからですね。先輩方から聞いてた話の印象では、才能ある人を見つけたりして、ジャズ界を支えてきた人っていうのかな。でも、お話しすると、ずいぶん砕けた人だったんで…(笑)。

I特にお酒が入ると…ですか?

Y:ていうか、まぁ、ほとんどお酒が入ってるとこしか見たことがなかったんで(笑)。ただその、思わぬところでぱっと鋭い意見を忌憚なく言われる方だなっていうのはすごく感じました。例えば僕が一番よく覚えてるのは、最初に演奏聴いてもらったとき。当時僕は、今よりずっと痩せてて、体重も15キロくらい少なかった。そのとき先生が、『君は太りなさい。体を鍛えなさい』って。それは、ほら、演奏云々というよりもスタミナつけることで音がもっと良くなるというか、そういうことってあると、何となくは思うんですけど。それを先生に正面から言われたとき、ドキッとしまして。それからは、気をつけてモリモリ食べるようになって。そしたら、その数年後に先生にお会いしたときに『うん、うん』ってご納得されたようでして。だから、やっぱり一言で、なんかこう、本質を突かれるという印象がすごくあるんですよ。

Iそうなんですか。とても含蓄のあるお話ですね。さて、そんな内田先生が岡崎市に寄贈されたジャズコレクションを基に、これからもジャズの街といわれるくらい頑張っていきたいと思いますが、そんな岡崎に、井上さんから何か期待することがございますか。

Y:そうですね、ジャズの街と一言でいっても、多分すごく漠然としてて…。実際にジャズの街ということでいろいろ事業を立ち上げている街っていうのはいくつかあるんですよね、全国に。でも、それと同じような感じでやるんじゃなくて、せっかく内田先生とそのコレクションと資料室があるんだから…。ジャズの資料室っていうのがいくつかヨーロッパのほうにあって、訪れたことがあるんですけど、やっぱりそういう資料ベースでやってる街は、独特のなんか、ジャズに対する愛情っていうか、基盤があるっていうか。だから、ただお祭りで騒ぐんじゃなくて、もう少しこう、根っこのほうから支えてきた街っていうあり方ですね。特に内田先生のコレクションっていうのは日本人のジャズミュージシャンの歴史といえるし。でも多分まだまだ広く知られてないと思うんですよ、日本で。日本ってやっぱりどうしても海外のほうに目が向くじゃないですか?だけどやっぱり日本のジャズミュージシャンにももっと目を向けてもらえると、なんかこう、聴衆とミュージシャンとがもっと深く理解しあえる、そういうことが市民レベルで発展することを期待しています。

I今日はどうもありがとうございました。



H:東原力哉
I:インタビュアー

I今日は岡崎にお越しくださり、ありがとうございます。東原さんにとって、内田修先生とはどんな存在なのか。最初に出会ったときとか、何か、思い出がありますか。

H:内田先生に初めて出会ったのは、1980年代、当時私はギタリストの渡辺香津美さんのバンドにいまして、それで確か岡崎市内だったと思うんですが、野外のジャズフェスティバルみたいなのがありまして、それに呼んでいただいたときですね

I葵博という博覧会ですね。

H:あ、それです。だからもう、かなり昔の話ですよ。
でも結構でかいイベントで、楽しくやらせていただきました。で、内田先生のお名前っていうのは、私自身はもう以前から知っていたんですが、お会いするのはそのときが初めてで。その後何かと、名古屋やその近辺でライブ出演しているとき、気がつくと客席にいらっしゃるんですよ。先生をご存知の皆さんはわかると思いますけども、何かこう、普通の方とは違う空気、雰囲気みたいなのを、なんかね、こう感じるわけ。で、演奏中にふと横を見ると、内田先生がこっちを見ていらっしゃると。ま、回数にすればそんなむちゃくちゃ多くはないんですが、でもほんとによく来ていただいて…。
思い出といえば、その葵博に呼んでいただいたときの帰りだったと思うんですけども、仕事が終わったあと、今はなくなってしまった、内田病院のスタジオへ、なんと招いていただきまして。そこでですね、お宝とも言える、私なんかがもう生まれるか生まれる前くらいの音源ですね、聴こうにもなかなか聴けないような音源をいっぱい聴かせていただいて、感動した記憶があります。結構夜中だったんですけど、2時間かそれくらいずっと聴きこんでましたね。

Iそうだったんですか。

H:で、その、出し惜しみしませんよね?先生は。普通そういうコレクターの方って『これは俺のものやからお前らに聞かせてたまるかい』みたいなところありそうじゃないですか。けど、そういうのじゃなくてすごくオープンで、当時の私のような若いミュージシャンに対して『これも聴いてみ』、『あの時代にもこういうことやってたんだぜ』みたいに、こう、学ばせていただけるという…すごく感動いたしました。あれは岡崎市の宝、だけじゃなくして、日本の音楽の宝の一つですよね。こういうのをみんなで守っていくっていうか…。
ま、内田先生にこんなこと言うと、『わしゃ知らん、勝手にやってくれ』みたいに言われるかもしれませんけど。ああいうのは50年100年、いやいやもっともっと長い時間守っていくべきものだと思います。かつてスタジオにお邪魔した俺のようなミュージシャンが、この先、生まれてくるかもわかりませんし。あれもう大感動でした。

I素晴らしいお話をありがとうございます。
岡崎市は、こうしたジャズコレクション展示室やジャズコンサートを通じて、ジャズが盛んな街といわれるくらいに頑張っていこうと思っていますが、東原さんから岡崎に対するメッセージがありましたらお願いします。

H:頑張ってというか、もうすでに岡崎市イコールジャズシティーみたいというか。ま、特に我々はプレイヤーでありミュージシャンであるんで、よく知ってるからかもしれませんけれど。特にジャズに限って、音楽の街は日本でどこかといったら、もちろん岡崎だけでなく、いっぱいあると思いますけども。でも、岡崎はジャズシティー、みたいなタイトル、これなかなかいいよね?ジャズシティーって。今、口から出まかせで言ったけど。ジャズシティー岡崎。もうそういう風にすでになってると俺は思うんですけどね。

Iジャズシティーという表現、かっこいいですね。

H:もとは内田先生はじめ、たくさんの方の力があってのことだと思うんですけど、もうすでに出来上がってると思いますよ。

Iこれからもますます東原さんにもお越しいただきたいと思いますので、よろしくお願いします。ありがとうございました。



T:竹下清志
I:インタビュアー

I今日のコンサートを終えられて、お客さんの反応とかはいかがでしたでしょうか?

T:野外のお祭りステージ風だったので、パッと見た感じ、ジャズになじみのない人が多いのかなと思ってたんですけど、結構お客さんの反応がすごくて。ジャズをよくご存知の方が多かったですね。

Iじゃあ結構ノリノリで?

T:声のかけ方とかね、そういうのもすごくツボを心得えてられるような感じでした。

Iそうですか。ありがとうございます。では、あらためてお話を伺います。内田修先生との思い出で、印象に残るようなことが、何かありますか

T:そうですね、僕は今、大阪に住んでいるんですが、昔、日野さんのバンドに4・5年いたんですよ。その頃日野さんたちが『内田先生が内田先生が』ってね、言ってられて。僕はあんまり存じ上げなかったんですけど、『あぁ、そういう先生がいらっしゃるんやー』っていう感じで。で、あるとき日野さんのバンドで名古屋でライブしたときに先生が来てられたんで、ああこの方なんだと思って。でもって、僕、最近名古屋でのライブも多くなってきたんで、結構先生に来ていただけることが多くて。

Iそうだったんですか。岡崎市は、これからジャズが盛んな街といわれるくらいに頑張っていこうと思っていますが、竹下さんから岡崎に対するメッセージがありましたらお願いします。

T:僕らにとって、ジャズを好きな方が増えるっていうのは、まぁ、それだけでこう、仕事が増えるみたいな感じがあってすごくありがたいですね。名古屋も素敵なミュージシャンがいっぱいいてるしね。僕も、岡崎に結構来ますよ、体育館みたいなとこでもやったことあります。いいですよね、こう活気があってね。今日みたいなライブ、もう しょっちゅうやって欲しいですね。

Iはい、これからも頑張っていきます。どうもありがとうございました。