ジャズ講座〜幻のプライベートテープを聴く
講師:中牟礼貞則 インタビュー

2008年9月27日(土)岡崎市シビックセンター体育集会室

中牟礼貞則
ギター奏者
1933年鹿児島県生まれ。上京後、大学に通いながら1952年にプロデュー。宮沢昭、渡辺貞夫、前田憲男、猪俣猛など多くのミュージシャンと共演し、1963年、「銀巴里セッション」に参加。ボサノヴァを弾いた最初の日本人ギタリストといわれ、磨き抜かれたハーモニーセンスと鋭い感性で独自のスタイルを持つ。現在も自己のグループやさまざまなセッションでのライヴ、スタジオワークなど幅広い活動を続けている。


N:中牟礼貞則
I:インタビュアー

I内田先生との思い出話や、何か印象に残ることがありましたら教えてください。

N僕がかつて、銀座でずっと活動していた頃、当時「ファンタジア」っていうすごくいいジャズクラブがありまして、渡辺貞夫さん、秋吉敏子さん、それに亡くなった宮沢昭さんや八木正生さんだとか、ああいう人たちがよくやってるジャズクラブだったんです。僕がたまたまそこのオーナーをよく知っててね、稲葉国光さんたちとよく入りこんでよく演奏してました。
ただ、やっぱりジャズだけを演奏するっていうのは相当困難でね。その頃は朝鮮戦争の後の頃でしたからね。いろんなお客さんが出てきて、結局いわゆるジャズファンのための音楽ではなくて、例えばダンス音楽とか、大半はそういうのを演奏しなければならなかったんです。アメリカで流行ってるジャズではなくて、アメリカのポップス、ポピュラー、映画音楽。そういうのばっかりやってたから相当みんな鬱々としてて。今でいうストレスが相当たまってたところに、内田先生という人が出てきて、「君たちがやりたいジャズをずっと伸ばしていったら?」っていわれて、僕らはほんとに興奮しました。内田先生がこられるっていうともう夢中でしたね。
たまたま僕は先生に健康のことでは厄介にはならなかったんだけど、みんなからは、先生の所に行って泊まり込みでって話をよく聞いていたんですよ。今考えるとどっか悪かった方がよかったのかなと思うくらい(笑)。ですから、僕にとって内田先生って言うとどこまでもジャズの師なんですよ。

Iありがとうございます。本日をもって、岡崎市シビックセンターでのジャズコレクション活用事業は一旦終了しますが、今後は図書館交流プラザの内田修ジャズコレクション展示室を拠点に事業を進めていきます。そんな岡崎に対して中牟礼さんから何かメッセージを頂けたらと存じます。

N岡崎っていうところは、すごく大きなウエイトが僕の中にあって。僕の友達、例えば菊池のプーさんとか、渡辺貞夫さんだとか、それに高柳昌行さん、富樫雅彦さん、佐藤允彦さんに伊藤君子さんや後藤芳子さんなど、僕が勝手に自分のジャズの同志だと思ってる人たちがみんな岡崎に何度もきているんですよね。僕はなかなか来る機会がそんなになかったけど。
これからもああいう人たちのいろいろな交流が続いていけば、岡崎はジャズの核になれる場所だという気がしてるんですよ。演奏する側も聴く側も、演奏終了後にはじわーっと喜びを感じられる。そういう手助けを岡崎でしてもらえるといいと思います。お互いに協力しあう、一方通行じゃない活動ができる地盤が、岡崎にはすでにあるので、これからもそういう街であり続けてほしいですね。

Iどうもありがとうございました。