リブラ開館記念事業 ドリーム・セッションT
猪俣 猛 稲葉 国光 渡辺 香津美 辛島 文雄

2008年11月3日(祝)内田修ジャズコレクション展示室・ドクターズスタジオ



IT:猪俣 猛
I:インタビュアー

I内田先生との印象深い思い出話などありましたら、教えて下さい。

IT:そうですね、たくさんあるのですが…僕が一番印象に残っているのは、名古屋ヤマハ・ジャズクラブの例会に招かれたときかな。
「ほぉ〜凄いジャズ好きな人がいるもんだなぁ」と思いました。
そしたら、いろんなミュージシャンが病気になると先生のところに行っていることを聞いて、そこで初めて外科の先生だと知って、とてもびっくりしましたねえ。
今日は久しぶりに先生の家に訪ねました。
私も当時の先生の家に何回か行ってセッションやった記憶もありますし、ここ(再現されたドクターズ・スタジオ)を懐かしいなぁと思って見ているのです。
先生はいつもニコニコしていているけれど、割合、辛辣なことも平気でポロッと言う人なんですよ、僕も口が悪いタイプなんですが(笑)…。
でも、若いミュージシャンを発掘してはよく面倒をみていましたよ。
私も、人の面倒をみるような年になってきましたが、先生にはいつまでもお元気でいてほしいなと思います。
まぁ、何と言っても先生とはお付き合いが古いので、いろいろな思い出がありますけど、最近では毎年、正月になるとスイングジャーナルの新年会が楽しみなので、その時にいつも元気な姿ですごく嬉しく思っています。
今回コレクション展示室を見せていただいたのだけれども、これだけコレクションされているということを知らなかったので、これは驚きましたね。

Iこれからも、いろいろ展示替えをしていきますので、ぜひお越しください。

IT:私もお手伝いできればどんどんしますので、遠慮なく言って下さい。

Iありがとうございます。
では最後に、「ジャズの街」といわれるよう、さまざまな事業に取り組んでいる岡崎へのメッセージをお願いします。

IT:ジャズっていうのは、100年の歴史があって、確かにアメリカで生まれたものだけど、僕は日本で育ったような気もするんですよね。
今は、アメリカよりも、日本の方がジャズは盛んだし、また小中学生の子供たちの中でもジャズが盛んになってきています。
そういう発信の場としては、ここの資料もすごく大切だと思います。
何でもそうですけど元がないと発展していかないので、そういう意味ではもうちょっとベーシックなことを、皆さんのお力でぜひ作り上げていっていただきたい。
ミュージシャンから「岡崎と言えば『ジャズ』」っていわれるくらい。
りぶらを新たな情報の発信源として、いい形で「『心温まる音楽を提供していく』っていうのが岡崎のポリシーなのだ」という風に、ネットも活用しながらどんどんやっていくといいじゃないかと思っています。

I分かりました。
今後も、猪俣さんには何度もお越しいただきたいと思います。

IT:はい、喜んで参りますよ。

I今日はどうもありがとうございました。



IK:稲葉 国光
I:インタビュアー

I内田先生との思い出話や、最初に会われた時の印象などを、お聞かせ下さい。

IK:僕は、結構思い出があります。
最初に先生に会ったのは、僕が28くらいの時だったと思うのですけど、銀巴里セッションの時、先生がいつもテープレコーダー持ってきていてね、重たいのに。
あの頃は、テープレコーダーが珍しくて、誰も持ってないくらい貴重なもので、わざわざ岡崎から持ってみんなの曲を録ってくれていたんですよね。
それが、「幻の銀巴里セッション」というレコードになったわけで、感慨深いですねえ。
それから、アフターアワーといって、よく有楽町のガードの下(線路下)に大衆酒場みたいなのがあって、よく食事に行きました。
食事といったって飲み屋ですからね、豪華なものじゃないですけど。

I銀巴里セッションのレコードジャケットの裏にもそれらしい写真がありますね。

IK:ええ、ありますね。
それから、先生が名古屋に呼んでくれたりして。
先生の自宅にもよく、しょっちゅう行っていたんですよ。
先生の寝ている間に、冷蔵庫を空にしたり…
それから、先生の自宅の応接間でジャムセッションみたいのをやったり、ボサノバの流行っている頃なんかはみんなでお盆叩いたり、とんでもないことをやって、すごく楽しい思い出があります。
先生のおうちにもよく泊めてもらっていました。
翌朝、先生に「起きろー!」とゴルフに連れて行かれたりして。
それと病室にも泊まったことがありますよ。
「ベッドの空いているところに寝ろ!」なんて、入院しているわけじゃないんですけどね。
あとは、女子大小路の所にラブリーの前身のカフェが店を出していた時に、先生がそこへ連れて行ってくれたんですが、とても美味しい食事だなぁと思った。
いっぱい思い出があります。

Iありがとうございます。
岡崎市では、今日のコンサートも含め、「ジャズの街」と言われるよう、さまざまなジャズ事業を展開していこうとしていますが、そんな岡崎にメッセージをお願いします。

IK:内田先生が基礎を築いてくれて、こういう盛り上がったことが可能になって、素晴らしいと思います。
これを大事にして長く続けていって根付いて欲しいと思います。
すでに、岡崎市はジャズで有名ですけど、今後とも頑張ってやって下さい。

Iありがとうございました。



WK:渡辺 香津美
I:インタビュアー

I内田先生との思い出や懐かしいエピソードなどをお聞かせください。

WK:いろいろあるのですが、出会いとしてはヤマハジャズクラブのコンサートの時で、僕は20代になったばかりで鈴木勲さんのグループでした。
その時に先生が、若いギタリストが来てやっているということを聞いて、励ましにきてくださったんです。
その時の自分の演奏としてはあんまり納得できなかったというか悔しいような内容の演奏だったんですよね。
でも、先生に「頑張りなさい」といわれて、非常に勇気が湧いたというか、そんな思い出があります。
勇気よりも何よりもそのあとの打ち上げで、初めてフグを食べさせてくれて、それが美味しかったな。
それから、先生の病院にお邪魔して、当時のドクターズ・スタジオでも遊ばせてもらいました。
「時間がある時にいらっしゃい」って言われて、1週間くらい人間ドックというか体の検査も兼ねてということで、たいして病気でもないのに入院して、いろいろ検査してもらいました。
それに、夕方になると先生に「香津美君、部屋においで」と言われて、行ってみると、いろいろなご馳走が用意してあるんですよ。
明日検査あるんですけど、飲んでもいいですか?って言ったら、「大丈夫だよ!」って言われたり(笑)。
そんな楽しい思い出もあります。

Iそうですか、とても楽しそうですね。

WK:本当にお世話になりました。
今日もコンサートの前にうかがったんですよ。
非常に元気な様子で喜んでくれた。
「また遊ぼうな」って頭なでてもらったり。
本当にジャズの大先輩ですし、先生がいるおかげで日本のジャズの道ができてきたと思うし、多くのミュージシャンも温かく見守り続けてくださった。
それも、ベテランから新人まで分け隔てなくというのが、先生のいいところで、年齢差を超えて「また遊ぼうよ」という感じがあって。
先生、いつまでもお元気で、本当にまた遊びましょう、!

Iありがとうございます。
岡崎市では今回のような事業を通して、ジャズの盛んな街と言われるように頑張っていこうと思っていますが、岡崎に対する渡辺さんからのメッセージをお願いします。

WK:岡崎は、非常に歴史を感じる街並みで落ち着いているし、そこにジャズの空気が混ざると他の街にはない「新しい文化」ができてくるというか、そこが岡崎の良いところだと思います。
こういうコレクションを活用して、若い人にも古くていいものがあって、そこから「よし、じゃあ俺たちも作ろう」となってくれれば。
…ジャズっていうのは創造。
新鮮な気持ちで前のものを聴いて、そうした先輩たちの残してきた素晴らしいものの上に、また「違うものは無いか」って新しい何かを作り続けていくものだと思うので、どんどん発信地になって欲しいと思いますし、岡崎に期待しています。

Iありがとうございます。
これからも頑張りますので、また何度もお越しください。

WK:こういった所もできたのでね、遊びに来たいと思います。

Iありがとうございました。



KF:辛島 文雄
I:インタビュアー

I内田修先生に関する思い出話や、心に残るようなエピソードがありましたらご紹介ください。

KF:そうですね。
内田先生は僕のファーストリードアルバムのライナーノーツを書いていただいたんです。
僕はそれまで、九州にいたんですけど、上京して割とすぐにそういうチャンスに恵まれました。
そして内田先生に(ライナーノーツを)書いて下さった時に、「自分は九州のジャズ事情は知らなかったけど、九州にこんな奴がいるのか!」とビックリされたっていうので、僕もすごく嬉しかった。
その後、特に日野元彦さんと一緒に演奏するようになってからは、親しく、本当に可愛がってもらっています。
僕がライブをやる時にはよく来ていただいて、励ましの言葉をいただいたり、周りのメンバーのことの報告があったりして、本当に、僕のジャズライフの中で、欠かすことのできない素晴らしい先生だと思います。
まあ人間誰しも、いつかはだんだんと朽ちていくものですけど、まだまだ先生は、気が若いというか、気持ちは年とらない人ですから、それをなるべく先延ばしにして、元気なお姿で、また悪口言いにライブを見に来ていただきたいっていうのが、先生に対する一番の思いですね

I今日のコンサート事業を始め、岡崎市はジャズの街と言われるように頑張っていこうと思っていますが、岡崎に対する辛島さんからのメッセージを頂けますでしょうか。

KF:岡崎っていうのは、ほかの多くのミュージシャンと同様、僕にとっても内田先生に初めてお会いした町だし、その後何度もライブで訪れているしね、いろんな思いがありますけど…。
特にこれからの岡崎は、こんな立派なホールも出来て、立派なピアノも入っているので、ピアニストの僕としてはいつか…いつかと言わず近い将来、ここでしっかり演奏してみたいと思いますので、よろしくお願いします。

Iありがとうございました。