

内田 修・日野皓正

井野信義

峰 厚介

辛島文雄

村上 寛
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[ジャズスペシャルセッション インタビュー]
| ●日時・場所 |
平成14年7月21日(日)午後5時〜
岡崎市シビックセンター1F資料室(ジャズコレクション) |
| ●出席者 |
内田 修(ジャズ評論家)
日野皓正(Trumpet)
峰 厚介(Saxophone)
辛島文雄(Piano)
井野信義(Bass)
村上 寛(Drums)
[聞き手]岡崎市広報課 宮本佳久 |
宮本:内田先生にはジャズコレクションを岡崎市に寄贈していただいたのですが、今日、そのコレクションをご覧になっての印象・感想はいかがでしょうか?
日野:レコードがいっぱいあって、本がいっぱいありますねえ(笑)。ジャズをこれだけ市が取り上げてくれることはまずないでしょう。それは、やっぱり、内田先生の今までの功績、永いことジャズを愛して、ジャズを皆さんに紹介してきたという、岡崎の代名詞みたいになっているからこそ、こういうものにコレだけのスペースを割いてくれるということだと思うんですよね。
それは素晴らしいことだと、ジャズに関わっている者にとって、深く感謝したいと思っています。
内田:うまいこと言うねえ。(笑)
宮本:内田先生との出会いは?
内田:(指差して)そこにありますよ。きっかけが。
日野:一番上の、「日野皓正」というブルーのタイトルの隣のアルバムがそうなんですけど、銀座の「銀巴里」というシャンソン喫茶を金曜日の昼間だけ新世紀音楽研究所に貸してくれたんです。そこで僕たち活動し始めたんです。それは、金井英人(b)さん、高柳昌行(g)さん、影山勇さん(b)宇山(恭平)(g)さん、中牟礼(貞則)(g)さん、富樫(雅彦)(ds)、菊地(雅章)(p)のプーさん、そういう人たちが始めたんです。それを内田先生が昔のスリーセブンというソニーの大きなリールトゥーリールのテープレコーダーを岡崎から電車で運んできて…。
内田:夜行列車で。(笑)
日野:そうそう、夜行列車で来て、そこで自分のコレクションとして回していたものが後々レコード化出来たんですよね。僕なんかまだ10代かなあ、20代の初めかなあ、山下洋輔(p)と僕なんか若組でバンド組んでいましたからね、あの頃。鈴木孝二(as)や滝本国郎(b)や石井剛(ds)とか…。
その頃、内田先生と僕は「銀巴里」のセッションを通じて知り合ったんです。
宮本:ドクターズスタジオにも日野さん御自身よく通われましたか。
日野:しょっちゅう行ってましたよ。
お金がなくて、レコード買えませんから。あそこへ行けばレコードをコピーさせてもらえる。それとスタジオがありましたから。ピアノはあるし、ドラムセットもあったし、宝庫みたいなものですよ、我々にとって。
何か新しいマシンがあるし、テープレコーダーとかそういうのがね…。
ウヮーすごいなということで、菊地のプーさんとか皆んなあそこに入りびたりで、寝泊りして…。
インパルスの(ジョン)コルトレーン(sax)やマッコイ・タイナー(p)とか、しょっちゅうテープに入れさせてもらって、それで勉強してきました。
宮本:内田先生はそれを見ていて、どういう印象をもたれましたか。
内田:いやぁ…、かわいい子だったよ。(笑)
一生懸命、よく練習するなあと思って…。
日野:コンボはあそこでやらしてもらったものね。それと「ミュージックマイナスワン」、あの頃にLPのジャズカラオケがあったんだ。それをかけながら、一緒にジャズのスタンダードを吹いて自分で録音していたんです。
内田:キーが違っても、無理やりやった…。(笑)
宮本:当時の岡崎の印象は?
日野:岡崎の印象…。内田先生しかいなかった。(笑) 内田病院があるとしか知らなかった。(笑)徳川家康がね、ここでね、ヤスイキ通りですから、病院がね。「康生通り」だからヤスイキ(康生)でしょ。(笑) ここで生まれたんだと、と思うその程度で。
宮本:「オールスター患者クラブ」というのが結成されているそうですが…。
内田:結成されているわけではないよ。山下洋輔が勝手につけちゃったんだよ。(笑) でも、それに近いメンバーを集めてやったことあるけどね。
宮本:日野さんは内田病院へ入院されたことはあるんですか?
日野:もちろん、なにがだめでも。そのかわり外科医ですから荒いですよ。 「風邪引いたんですけど…」と言うと、「う〜ん、酒でも飲んで寝ちゃえば治るから」と言われて…。ムチャクチャな先生だなとか思って…。(笑)
宮本:病院へはどれくらいの時期から…?
内田:銀巴里の頃から、だね。
日野:名古屋の「コンボ」というクラブで、新世紀音楽研究所の部員が初めて東京から行ってコンサートをしたんです。そのとき、全部先生がセットしてくれて、旅費・宿泊から食べるものまで全部面倒見てくれて、皆んなで行ったんですよ。それで、「コンボ」でセッションやったわけです。それが最初だったかな…。
それからはしょっちゅうです、たまにはコンサートもありましたから。
宮本:コンサートが終わった後には岡崎の先生のお宅へも…?
日野:もちろん。先生の家(うち)でガチャガチャやって、飲んで、スタジオの中に寝ているやつもいるし、もうベロベロで、みんなトドかセイウチみたいに…(笑)。
内田:仕事が見つかるまで家(うち)におったから。仕事がありますというと、東京へ帰っていった。帰っていったというか、行ってまた戻ってくるという…。
宮本:そんな感じでしたか。日野さんは9歳からトランペットを始めたとお聞きしていますが、そのきっかけは?
日野:オヤジが、たまたまやってたんです、タップダンスとトランペットを…。で、しょうがなくひかれた線路の上をズーっといっているだけで…。他の人たち詰まんないんじゃないですかねー…。(笑)
宮本:すみません。それでは、まず、皆さんにドクターズスタジオの思い出をお願いします。
井野:あの頃、この世界に入って、右も左もわかんなくて、日野さんの弟で、日野元彦さんに連れて行ってもらったのが一番初めてです。とにかく、先生の家に行くと、おいしいお酒と、なにか僕らの世界にある束縛感と違う、自由な雰囲気があって。先生のスタジオにあるレコードを聴いたり、いろんな先輩の話を聞いたりするのが本当に楽しみで。とにかく、ずいぶん先生の家には寄せてもらって、いろいろお世話になりました。ほんと、その節はありがとうございました。(笑)
峰:最初に先生のお宅へ行ったのは、菊地雅章さんに「検査に行くので俺に付き合え」って言われて。(笑い) こっちは、その時調子が悪いところはなかったんだけど、一緒に行って診てもらったんです。僕は大丈夫だったんですよ。プーさんも何の検査に行ったんだかわかんないけど、(笑い)大丈夫だったんですよね。
その後、今度は調子が悪くて、先生のところに行って診てもらったら「ちょっと飲みすぎだな、酒は控えて」と言われて、薬と点滴打ってもらいました。帰れると思ったら、「ちょっと横になって」と言って腹を押さえた途端、「あ、何号室空いとったね」って、「先生、待ってくれ」(笑)という感じだったんだけど。それでそのまま3週間くらい入院して…。
井野:胃潰瘍?
峰:肝臓のほうでした。その時も大変お世話になりました。その後も、何回も検査とか、検査でなくても、こちらへ来たときには寄らせてもらって…。先ほど、井野が言ったように、おいしいお酒とおいしいものを…。同じような経験をしました。
内田:冷や汗出てくるなあ。(笑)
辛島:僕は最初のレコードのライナーノーツを内田先生に書いていただいて、それ以来のお付き合いで、30年近くになるんですけど。皆さん、先輩方が言ったとおり、おいしい料理とお酒、何か我が家に出入するように寄らしていただいて、今日に至っております…。(笑)
日野:入院したことは無いの?
辛島:僕はありません。1回、酔っ払って火傷して治療を受けたことはありましたけど。(笑)
村上:僕は、一度、手首の手術を先生にしてもらったんです。メスを持つと眼がすごく輝いちゃうのが怖くなっちゃって…。(笑) その印象が深いです。あと、いつも先生にお世話になっているばかりなんですけど…。
宮本:皆さんにとってジャズとは?岡崎市民へのメッセージを。
井野:岡崎は、なんと言うか、僕らはいろんなところをツアーするんですが、それとは全然違う別格なところにあって…。
なにかものすごく僕の中に思い出としてあります、それが僕にとっての岡崎であって、徳川家康もあるんだろうけど、それよりも、あの時代にあって、甘えられるというのかな、それがすごくうれしくって。先生、先生って、よく行ったものです。そんなことで、岡崎の皆さん、よろしく。
峰:こういう音響のいいホールができて、ステージと客席が近いこともすごくいいと思う。クラシックだけでなく、いろんなコンサートが行われ、いろんな人が聴きに来て、楽しんでもらったらいいなと思います。
日野:僕も一緒で、こんないい所ができたんで、岡崎市民の方だけじゃなく、もっと他県からも来てもらって、利用してもらうことで文化の向上がはかれれば…。文化に親しめば、いがみあいとか戦争とか、そういうものが減ると思う。そうやって、岡崎と言ったら、芸術の都「岡崎」と言われるように、コレを活用していただきたいと思いますね。
辛島:岡崎はやっぱり、内田先生がいて、日本中めったにないまちだと思うので、ジャズの一つのメッカとして、このホールを活用していただきたいと思います。岡崎市民がもう少しジャズに親しんで欲しいという気持ちです。
村上:今までは内田病院しか印象が無かったんですけど…。(笑)これからは、このジャズコレクションのここの場所がすごく岡崎の印象になると思うんで。僕たちも、いろいろやらしてもらいたいと思うんですけど、皆んなにもここをすごく活用してもらいたいと思います。
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