「岡崎市と我が出会い そして想い出」宮沢 昭

 
岡崎市との出会いを語る時、内田病院の院長だった内田先生との出会い無くしては語れません。それは約15年程前の胆石の手術で命拾いをした時から始まります。それから長い年月に亘り岡崎詣でが始まりました。我が家と病院の半々という月もありました。今はその病院も無くなり、むなしさを感じます。

 思い出せば入院中四季折々の移り変わり、春の岡崎城の桜、初夏のそよ風に揺らぐ藤の花、夏の花火大会にはさすが本場の花火、そのスケールの大きさに病院の屋上で、生涯こんなすごい花火にお目にかかることはないと感激しました。そして三河湾の新鮮な魚の美味なる事。岡崎に居住する方々は幸せだと思いました。街を散歩すると古い昔の家屋を想い出させるような黒い塀等、ちらちらと城下町の面影を留めている。そのような環境の中で生まれ育った内田先生がなぜか異国の音楽・ジャズに心をひかれ、情熱を燃やし、医師として多忙の中、多くのミュウジシャンの心の支柱となり、面倒を見てこられました。私事ですが生来の性格の弱き故に活動も消極的だったそんな私も、先生の情熱と励ましで尻を叩かれ、チャンスも作っていただき、心身ともにずい分お世話になりました。

 岡崎という伝統のある街にジャズという新しい風を吹き込ませたのは先生の功績だと思います。古い歴史を持ちつつ調和のとれた岡崎は落ち着いて心安まる街です。今後とも益々ユニークな、世界に誇れる岡崎市に発展される事を心より切望します。


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