岡崎市康生通南の内田病院の一角にあった「ドクターズ・スタジオ」とジャズメンによばれたスタジオ兼リハーサル室兼レコード鑑賞用オーディオルーム。収集したLPレコードの理想的な高忠実度再生を目指し、現在でもマニア垂涎の世界的名器によるオーディオシステムが揃えられました。同時に録音スタジオとしても本格的な設備と機材、楽器が整えられ、地元でのコンサートにはいつもジャズメンが集まってのリハーサルやアフターアワーズの演奏が行われました。
また、内田氏の家族を始め、友人、知人などの集まりに演奏されたプライベートのジャズ演奏が38cm2トラックのテープに収められることもありました。これら収集されたレコードやテープは内田氏の鑑賞に供されるほか、多くのジャズメンが訪れては先人の残した名演や新着の輸入盤などを聴き、採譜をして自分の演奏の参考にするなどライブラリーの役割も果たしていました。まさにジャズメンにとってのオアシス的空間だったのです。

ドクターズ・スタジオは、1960年代の中頃に完成しました。施工に携わったのは、大工さんでなく、家具屋さんです。この部屋に置かれている天然のチーク材を使ったソファーや椅子などの特注品を納めていた近藤家具製作所が担当しました。そのため、スタジオは天井、壁、ドアーに至るまでチーク材がふんだんに使われました。言ってみれば、大きな家具が部屋になったようなもので、一歩部屋に足を踏み入れると別世界のようでした。壁に取り付けられたアンドン型の電灯は、今もコレクションの一部として岡崎市に保管されており、全体がチーク材の無垢の削り出しで作られています。

ドクター・ジャズといえば、ジャズのことばかりが話題となりますが、ドクターズ・スタジオのレコード収納棚の上には数多くのトロフィーがところ狭しと並んでいました。じつは、ドクター・ジャズは運動選手でもあったのです。
医大生のころは大学の卓球部のキャプテンで活躍、撞球(ビリヤード)はギャンブラー並の腕前でした。また、30歳代には、本業の医師のほかに、日本では黎明期であったカーレースのレーサーでもありました。当時オープンしたばかりの鈴鹿サーキットでプリンス2000GTを駆って疾走し、アマチュアとしては初めてコース一周3分を切った記録保持者でもあります。その後、多くの人が夢中となったゴルフにも進出し、シングルの腕前となりました。
卓球、撞球、カーレース、ゴルフといえばテクニックはもとより、スピード感やインテリジェンスのスポーツです。体力と知力がなければトップクラスには到達できない世界であり、感性はジャズの本質に直結しているといえるでしょう。その成果がスタジオの一角を飾っていたのです。
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