(1)「ネム・ジャズ・イン」への道中で―――
82年7月24日の午后、怪しくなって来た雲行きを気づかいながら、気心の知れた友人二人を乗せて、単調なドライブを続けていた。
それはその夜行われる「ネム・ジャズ・イン」に向けての道中だったが年1回とはいえ、過去13回も通った道のりだけに、車内は何となく、のんびりしたムードになっていた。
同乗の一人は、ジャズ喫茶のオーナー。
今一人は、今宵のフェスティバルを主催する側の人間だが、長年ジャズを聴き込んで来た男とあって、僕は眠気覚ましに、ちょっぴり、いたずらっ気を出すことにした。
「今から何も言わずにカセットかけるから、ピアニストを当てて欲しいな。ひょっとすると、すごい難問かも知れないから無理とは思うけどね」。
こう言われては、この種の「ブラインド・フォールド・テスト」には、かねて自信の二人、案の定、身を乗り出して来た。やがて車内に響き始めた耳新しい筈の演奏に、一瞬息をひそめて緊張のおもむきで―――片や店に集めた数千枚のレコードを思い浮かべて、何とか手がかりをと必死の態。
そして残る一人も且つての「ピアノ主任」の肩書きを反古にしてなるものかとばかり、あれこれ思案の有様と見受けたが―――曲目も進むにつれて、もはや無駄な抵抗はよしたと観念して、ひたすら聴き入るのみ。
遂に無言のまゝであった。してやったりとばかりに、「ヒントを一つ。今夜、トリオで出演する人」。
「えっ、これ日本人?まてよ洋輔さんではないし、佐藤允彦さんとも違うし。するとアキさんか?うーん、参った、参った。日本の若い人がこんなに出来るとはねえ」。
今年の「ネム・ジャズ・イン」の人選にあたっては、何故か、御相談を受けたのだが、その時、アキさんを推すのに何のためらいもなかった僕としては、「正に我が意を得たり」と言いたい二人の反応ぶりに大満足の気分だった。
そのカセットが、今お聴きの「ABC」だった―――なんてことは、今更言わずもがなであろう。