(1)1950年代後半のR.ガーランドの人気はすごかった!―――
ジャズに限らず、音楽ファンであれば誰方も同じだと思うけれど、その道に魅きこまれるきっかけとなった音楽家やレコードについては何時迄も強い印象を持ち続けるものではなかろうか。
それに加えて熱中の度が進むにつれて、例えばジャズ喫茶あたりに通いつめて耳にしたプレヤーの演奏は何時迄も耳にこびりついて忘れ得ぬものだろう。
R.ガーランドについての僕の体験はそんな感じがあてはまるみたいだ。
初めにそんなお話でもしてみよう。
この所あちこちで書く機会があったから、ジャズを聴き初めたころの事ははぶくけれど、50年代後半、つまり僕がジャズに魅入られてから5年程経った頃の僕の手持ちのLPは12吋盤50枚にも足らない僅かなものだった。(それ迄集めていたのは殆んど10吋盤だった)
まるで「旅からす」の様にあちこち田舎の病院を修行かたがた廻っていた時代でそんな時に便利な様にポータブル電蓄に幾枚かのLPを後生大事に持ち歩いた訳で、その中に何時も愛聴した数枚があり、格別ターンテーブルに乗ったのがコロンビア盤のM.デヴィス「ラウンド・アバウト・ミドナイト」だった。
「ビ・バップ」からジャズに入った僕にとってはC.パーカーの「アー・リュー・チャ(AH-LEU-CHA)」やT.ダメロンの「タッズ・デライト(TADO'S DELIGHT)」の入っていたのが無性に嬉しかったのだ。
(ちなみにこれは日本コロンビアからの国内盤だった)パーカーとの数々のセッションで既におなじみだったマイルスは勿論僕のごひいきではあったが、このLPですっかり気に入ってしまったのがテナーの新人J.コルトレーンと初顔のピアノ、R.ガーランドであったという訳なのだ。
とり分けガーランドはそれ迄B.パウエル一辺倒だった僕により多くのジャズ・ピアニストに対する目を見開かせてくれた点で大変フレッシュな印象を与えた様に覚えている。
つまりいささか神がかって近寄り難い様な厳しさを持つB.パウエルとは異なり、(たとえ同じ系統にあるとは言え)、より軽快でメロディアスなタッチやフレイジング僕を浮き立たせる様な気分にしてくれたのだ。考えてみれば、このLPのリズム・セクションを構成したのがガーランド(p)、P.チェンバース(b)、フィリー・J.ジョーンズ(dms)という、後に言う「モダン・オール・アメリカン・リズム・セクション」だったのだから快適にスイングしたのは当然だったし、それに親しめたのはとっても幸いだったと言えよう。
そんな訳で当時毎日の様に通っていた名古屋のジャズ喫茶「コンボ」のマスターに何とかR.ガーランドの聴けるLPを購入してくれる様頼み込んだものだ。
それから間もなくお店の壁に飾られる様になったLPがこのガーランドの不朽の傑作「グルーヴィ」だったのだ。
そうしてこのすばらしいプレスティッジの原盤を僕自身のものとして手に入れる事が出来たのはそれから数年も後の事だった。
それにしてもガーランドに魅きつけられたのは勿論僕ばかりではなかった。
マイルス・クインテットで一躍コルトレーンと共に名を挙げた彼は忽ちの内に日本のジャズ・ピアニスト達を「とりこ」にしてしまった様で、後にウイントン・ケリーにその席をとって代わられる迄はすべてのモダン・ジャズ・ピアニスト達は競って、ガーランドの左手の動き(独特のブロックコードを得意としていた)や右手のシングル・トーンによる軽やかなタッチを追い求め、そのアイドルになったのだった。
言ってみれば現在のM.タイナーやK.ジャレットに匹敵する存在がR.ガーランドだったという訳なのだから、今の、ジャズ・ファンの方々には一寸想像も出来にくい程の人気ピアニストだったのだ。