(2)渋谷毅についてもう少し―――
話が本題からそれるみたいで申し訳ないが、植松を理解する上で必要とも思われるので今少し「音楽の分る男」と書いた渋谷毅について触れさせて頂こう。
彼については、第一作「ドリーム」のライナーを担当した鹿児島の中山信一郎さんが、実に読ませる文章で、正しく紹介されているから重複を避けるが、実の所僕自身にとって「渋谷」という名は、長年“幻の音楽家”として頭に叩き込まれていたのである。
中山さん御指摘の如く渋谷は「プーさん」こと菊池雅章と高校時代からの同級生であると同時に良い意味でのライバルて゛もあった。
何故か、菊地の方は「銀巴里セッション」時代からの縁で僕からみるとまるで弟の様につき合って来たのだけれど、一方の渋谷はすれ違いが重なり、ついぞ面識が出来なかった。
その菊地が常日頃こう言っていた。
「俺はピアノでも作曲でも渋谷には、かなわない様な気がする」と。
成程僕の所に残されている「ギャラリー8」時代の渋谷の“実験的ビッグ・バンド”のテープを聴くと当時から、彼のサウンド創りの新鮮さと恐るべき天分には、目をみはらせるものがあったと思わざるを得ないのだ。
その渋谷毅が昨年暮突然、僕を訪ねて岡崎迄やって来た。
奇妙な事に全く初対面という気はしなかった。
つまり、どちらも長年のつき合いみたいに何の遠慮もなかったのは不思議な位であった。その時、彼は吹込みの完了した植松のテープをもたずさえていた。
「僕は、植松の才能を高く買ってるんです。なる程、アンサンブルでは何度やっても不満は残るんだけれどアドリブのすごさには、一寸うなっちゃう所があるんですね。植松も是非って言ってますからライナーを書いてやって下さいませんか」
何の飾り気もなく、淡々と、いやむしろとつとつと語る渋谷の言葉に、僕はとても感動した。
そして、会話のはしはしに彼がいかにきめ細く日本のジャズメン達の演奏に耳を傾けているかを知ってとても嬉しくもあった。
「音楽を知り音を大切にする男と言える渋谷が惚れこみ、吹込みに参加したミュージシャン達と一体になって創り上げた作品―――それが、この待望久しい植松孝夫のリーダー・アルバムなのだ。