(1)制作のいきさつについて―――
一寸注意深いファンの方なら、このレコードのディレクターとして、渋谷毅の名前が記載されているのに気付いて「おや」と思われたに違いない。
そう、同じトリオ・レコードに「ドリーム」(PA-7127)、「クック・ノート」(PAP-9079)と題した2枚のピアノ・トリオの佳作を吹込み又、新人ヴォーカリスト酒井俊のデビュー・アルバム(PAP-9080)で、バックとアレンヂを担当したあの渋谷毅が、この植松孝夫の久し振りのリーダー・アルバムの制作の中心となって働いたのだ。
勿論、アメリカではミュージシャン自身が制作者をつとめるのは珍しい話ではないが日本では、まだまだ決して多くはない。では何故彼がディレクターを引受ける事になったのか、実はこのあたりに、リーダー植松孝夫の“音楽と人間性”の特異な所があるとも言えるのだ。
アルバムをプロデュースしたトリオ・レコードの原田和男君は、ライナーを依頼する手紙に、こう書き添えている。
「植松さんのアルバム制作については、2年位前から是非と思って、いろいろ考えていたのです。
でも全然面識のないレコード会社の者が“植松さん、レコード作らせて下さい”と言って、それから制作に入るのは植松さんの場合は、特に“難しいな”という気持がとても強かったのです。
で、今年(1977年)の確か2月頃に渋谷さんに相談したのです。
『ああ、植松なら昔から良く知っているし僕も絶対いいと思うよ。是非やるといい』というのが渋谷さんの答えでした。そこで、渋谷さんにディレクターを頼んで植松さんに連絡(渋谷さんは、何度も植松さんの演奏しているジャズクラブに足を運んだ)してもらい『渋谷さんがやってくれるなら“とても、うれしい”』ということで、話がとんとん拍子に進んだのです。
リハーサルを充分にやり、出来上ったのがこのアルバムです。」ベテラン・プロデューサーの原田君にしては、ばかに遠慮深いなあと苦笑させられた文章ではあったけれど実際、一般の人から見ると、植松という男はちょっぴり、とっつきにくい所もあるのは事実だし性格的には「情緒不安定」という言葉が当てはまらぬ訳でもない。つまり、植松を最高に乗っけて、やる気を起させるのは並大低ではないとも言えるのだ。
そんな意味で、渋谷毅という「音楽の分る男」に制作の責任者として担当してもらった原田君の意図は、実に的確であったのだ。