(I)粟村政昭氏の言を借りれば−
関西在住の粟村政昭氏は、私の敬愛するジャズ評論家の一人だが、どういう訳か、すれ違い続きで未だに面識はない。もっとも以前から、手紙や電話のやり取りで、その御高説は承っているし、その都度あの辛辣極まる、小気味良い文章とは、打って変った物柔らかい接し様に、面喰っているという程度のおつき合いだ。栗村氏に対しては、同じ医者同士(彼は内科私は外科という違いはあるが)という親近感を持っているものの、ことジャズに関しては、その博識ぶりはとても足元に及ぶものではなく常日頃、感心ばかりさせられている。−まあ、そんな事はともかくここで、いきなり栗村氏を引合いに出したのは以前から氏の、日本のジャズメンに対する“苛酷な迄の厳しさ”(冷静に評価しているだけだと反論されそうな気もするが−)についてはいささか不満を感じていたのだが、秋吉さんに関しては例外的だという事を知ったからだ。
栗村氏は例年、スイングジャーナル別冊「モダンジャズ読本」で、その年のゴールド・ディスクを一括取り上げて、独自の論評を加えて大変興味ある読物となっているのは御承知と思う。74年の別冊では、「キング・ジャズ・シリーズの渡辺貞夫」に触れて、次の様な記述があるので引用させて頂こう。(部分的な引用では全体の論旨を誤る心配もあるので、出来れば前文を参照して欲しい。
「日本のジャズメンの作品に、月並み以上の関心を持てない筆者にとって、この作品の価値を讃えるという仕事は、大いに気が重い。世界的な水準で、ジャズを論じた場合、筆者が支持する唯一の存在は、いまも昔も、根性の秋吉敏子ただ一人である」(以下略)
何だか嬉しい様な、嬉しくない様な、妙な気分にさせられる論調だが、権威ある栗村氏の一文だから、一つ素直に受け取って、「秋吉敏子は格別なんだ」という風に、単純な解釈をしておきたい。
何れにせよ、この引用文からも分る通り、秋吉さんが日本のジャズの歩みに記した偉大な業績については、今更云々する必要もなかろう。
そんな訳で、これから綴る小文は、通例のレコード解説とは異って、いくらかでも「秋吉敏子の人間像」に迫ってみようというつもりで進めて行く事にしたい