●このところ私達ジャズファンは、日本ジャズ界における心から敬愛する偉大なジャズメンたちを天国に送ることが残念ながら多くなってしまった。
ここでは、ぼくの人生における大切な友人であり、共にそのプレイに興奮し、笑い、ときには泣き、そして長いおつき合いの患者さんであったアーティストたちのことをもう一度思い出してみたい。
すばらしい彼らのジャズに対する情熱と足跡、そして愛してやまない暖かい人間性を終生忘れることはないだろう。そして彼らの残してくれた“魂のジャズ”を長く長く聴き続けていくことだろう。

日野元彦(ひの もとひこ)
1946年東京生まれ。6歳から父、日野敏(タップ・ダンサー&トランペッター)よりタップを習い、早くも8歳からプロのタップ・ダンサーとして、父と共にステージに立つ。10歳の時、原田寛二からドラムを習い始め、早速父とのステージでもドラムを叩き始める。天才ドラム少年として、NHKのTVでも紹介され話題を呼ぶ。ジャズ・ドラマーとしては、16歳から仕事を開始し、銀座「銀巴里」で行われた新世紀音楽研究所のセッションにも参加し、研鑚を積む。1968年、兄、日野皓正(日本を代表するトランペッター)が結成した日野皓正クインテットに参加し、22歳の若さで大人気となる。1975年、兄の渡米により独立する。スイングジャーナル読者人気投票で合計22回首位に選ばれ、日本を代表する名ドラマーとして活躍する。1992年からは2年間、「クラブ・トコ・セッション」を主宰し、若手の育成に尽力する。1999年、膵臓ガンにより享年53歳の若さで死去する。

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守安祥太郎(もりやす しょうたろう)
1924年東京生まれ。ピアノの下にもぐり込んで腕を伸ばしたり、後ろ向きの姿でピアノを弾くという演奏は当時非常に話題となった。ステージ合間の休憩時間までピアノを弾き続けたという伝説の天才ピアニスト。1955年9月28日、東京の目黒駅で電車に飛び込み自殺。

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宮沢 昭(みやざわ あきら)
1927年長野県松本市生まれ。日本のモダンジャズ胎動期を担ったテナーサックス奏者。モダンジャズのリーダー的存在として注目され、1960年にはピアニスト佐藤允彦を発掘した。1970年代はコンサートの表舞台から一時退くが、愛犬を偲んで吹き込んだ「マイ・ピッコロ」(1981年)や「ラウンド・ミッドナイト」(1985年)などで日本ジャズ賞をうけ、「昭和のビッグテナー」と評価された。2000年7月6日死去。


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